九十九茶杓添文

一 (淡竹中節丸形虫喰) 偶然拾った竹の節近くに穴が空いていたので、強度に欠けると思い捨てようとしたら、茶の師匠が「それは虫喰いと言って、茶の湯では尊ばれる物です」と仰った。それを機に私は茶杓作りを始めた。虫喰いの侘びた道具なので、名残の茶会で用いれば良いだろう。


二 (黒竹二節丸形) 竹を入手しようと竹材店を探したが近隣にはなく、ホームセンターに黒竹があったので購入した。節の間が詰まっていたので二節の茶杓として制作した。黒竹は淡竹の一種で、あまり大きくならない。初めは緑色だが夏を過ぎると黒くなり、二年で真っ黒になる。竹の茶杓は原則無季とされ、年中用いられる。ただし、季節を思わせる銘を付けた場合、限定されることになる。このため、私は銘を付けず、後にこの茶杓を手にした者が好みの銘を付け、目録に記載すれば良いと思う。


三 (染井吉野幹丸形) 自宅近くにソメイヨシノの大木があり、毎年春には美しい花を見せてくれた。しかし、マンションが建設される際に切り倒され、幹の破片が放置されていたので持ち帰り茶杓として削り出した。とても堅く、削るのに苦労した。これを機に、多様な樹種から茶杓を削り出してみようと思い、百種を目標として木材の収集を始めた。


四 (山桑枝丸形) 私が木を収集しているとインターネットへ投稿したら、埼玉県熊谷市在住の知人が山桑の枝を送ってくれた。知人の家を訪問したことはないが、知人の写真投稿では、開けた風景に木々が点在している場所の山桑のようだ。私は山桑に季節を感じられないが、啓蟄から春分までの仲春の季語とされているようで、山桑の葉の芽吹きの時期に当たる。その頃に開く茶会で用いれば良いと思う。或いは、桑の葉は養蚕に欠かせないことから、絹に関連する題目の茶会等で使用することも考えられる。なお、桑の茶杓は行の格という説がある。


五 (枇杷枝其形) 私が仕事で管理している物件の敷地にある枇杷の木。隣家から枝払いの要望があった。切った枝を持ち帰ると沢山の蟻がいたので数日間天日に干したが、まだ蟻は枝を行き来していた。その後数週間放置すると蟻がいなくなったので削ったら、中から蟻が出て来た。仕方なく一昼夜水に浸け乾燥するまで天日干しにしてから削った。枝の形状を生かして削ったので櫂先がそれなりになったため、其形と記した(以下同様)。桃栗三年柿八年枇杷は早くて十三年と言われる。ビワは実がなる仲夏(六月初旬から七月初旬)の季語とされている。


六 (布袋竹多節丸形) 偶然道端で見つけたホテイチクを採取。冬に三か月間、天日干しにして乾燥させてから削った。


七 (銀杏枝丸形) 街路樹のイチョウが伐採され、道端に落ちていた枝を持ち帰った。樹皮が軟らかく、すっと剥けた。すると艶めかしい白い枝が表れ、樹皮表面と同じ突起があるのが面白いと思った。削っていくと芯は軟らかいスポンジ状をしていたため、それを取り除いて穴空きの茶杓とした。イチョウ自体は季語にならず、銀杏黄葉(イチョウモミジ)や銀杏散る、銀杏の実が秋の季語となる。


八 (黒竹猪目中節逆樋丸形) 節から生えた枝を落とした跡が猪目のような形状であったため、それを残して削った。


九 (梔子枝其形) 隣人が剪定していた枝を貰い受け、枝の形を生かして削り出した。クチナシの花は白いが、実(み)は山吹色の染料として古より用いられてきた。「山吹の花色衣主や誰 問へど答へずくちなしにして (詠人不知)」という和歌がある。クチナシの花は仲夏の季語、実は仲秋(九月初旬から十月初旬)の季語とされている。


十 (紫陽花枝其形) 自宅向かいには画家が住んでいて懇意にさせて頂いていたが、亡くなって家が取り壊されると聞き、庭に咲いていた立派なアジサイを形身代わりに欲しいと思い、画家の親戚筋に断って伐採した。枇杷と同じく蟻が多く付いていたが、枇杷のように喰われてはいない。削ると銀杏よりも太いスポンジ状の芯があったため、それを除去して穴空きの櫂先とした。花の色がよく変わることから、七変化、八仙花とも呼ばれる。土壌が酸性なら青い花アルカリ性なら赤い花が咲く。アジサイは梅雨を代表する花と広く認識されており、仲夏の季語である。


十一 (檜幹丸形) ヒノキは香りが強いため茶杓には不向きと思ったが、ヒノキの茶杓の事例があると知ったので角材から木目を生かして削り出した。それまでは木の枝の形を生かして茶杓を削っていたが、これを境に角材や板材からも茶杓を削り出すことにした。ヒノキは日本と台湾のみに古くから分布する樹種で、柿本人麻呂は「いにしへにありけむ人も我がごとか 三輪の檜原にかざし折りけむ」と詠んだ。「昔の人も私たちのように、三輪の檜原で小枝を折って髪に挿したことでしょうか…」という句意である。当時はヒノキなどの常緑樹の枝を髪に挿すことがあった。これは、樹木に宿る聖霊の力を身につけることが出来るという一種の信仰によるものと解釈されている。ヒノキを詠んだ句を調べると、特定の季節と結び付くものはなく、常緑樹であるため一年を通して用いることが出来る。


十二 (杉幹丸形) スギはヒノキと並び日本では身近な木材である。スギは植林されたものの、コスト面や林業従事者の高齢化などで間伐されずに放置されている人工林が多く、密になった樹冠で光が遮られ、林床には殆どの植物が生存しなくなった。遠目には緑に覆われているように見えるが、生物多様性に乏しいことから「緑の沙漠」と呼ばれている。近年、スギは花粉症の代名詞のようになっており、スギの花の季語は晩春(四月初旬から五月初旬)とされている。


十三 (桂幹丸形) カツラは香出(か・いづる)が語源とも言われ、落ち葉や木材は良い香りがする。心材は褐色で辺材は黄白色。褐色が濃い樹種を緋桂、薄い樹種を青桂と呼び区別される。緋桂は狂いが少なく貴重で、仏像や碁盤などに用いられる。青桂は捩じれが生じやすく、善光寺本堂の柱が捩じれているのは、青桂の狂いを予測し、対になる二本が逆に捩じれるようにして回転を打ち消し合って動かないようにしているという説がある。月に桂の木があるという言い伝えから月の別称となっており、季語は仲秋とされる。


十四 (欅幹丸形) ケヤキは建材として耐用年数が八百年から千年と長いため、寺社に用いられることが多く、清水寺の舞台は七八本のケヤキで支えられている。ケヤキを詠んだ句を調べると、季節は多様で特定しない。花は四、五月で、秋には紅葉する。


十五 (鈴掛の木枝丸形) スズカケは篠懸、鈴懸とも書き、山伏の装束のことである。山伏が胸に装着する結袈裟につける球形の房(梵天)に、スズカケノキの果実が似ていることから名付けられたという。ヨーロッパから西アジアが原産で、日本には明治に渡来し、成長が早いため街路樹として多く植えられた。街路樹では剪定されることが多いが、大きな樹冠で木陰を作ることから古代ヨーロッパでは盛んに植えられ、その木陰で哲学者が説法をしたという。鈴掛の花の季語は晩春とされる。


十六 (山茶花枝丸形) サザンカは、中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、山茶花(サンサカ)が訛って定着したとされる。冬に花が咲くことから寒さに強い印象があるものの、原種は九州、四国が北限である。江戸時代に品種改良され庭木として広まり、近代では初冬(十一月初旬から十二月初旬)のありふれた代名詞となった。しかし、と夏目漱石が詠んだ「二三片 山茶花散りぬ 床の上」は趣が感じられる。


十七 (杏子枝丸形) 管理物件の敷地にあるアンズを枝払いして持ち帰った。その地の住人が「実を漬けたけど梅干しにならなかった」と言うほど花も実も梅に似ている。中国北部の東洋系品種では梅と交雑させた痕跡が残るという。アンズは実の収穫期である仲夏の季語とされる。


十八 (紅葉枝丸形) 近所で伐採されていたモミジの枝を貰い受けた。「秋の夜に雨と聞えて降る物は 風にしたがふ紅葉なりけり」と紀貫之は詠んだ。モミジは紅葉の代名詞となっており、総じて秋の季語とされている。


十九 (紫檀幹丸形) 知人の棟梁から譲り受けた板材。受け取った瞬間、重さと堅さに驚いた。電動工具で切断するのも苦労したが、桜よりも堅く削り出すのは至難の業だった。削り出して最後の仕上げに目の細かい耐水ペーパーで滑らかに磨くと色が褪せたため、拭き漆で仕上げた。紫檀を詠んだ句は見当たらず、特定の季節に関連付けられない。黒檀、鉄刀木と並び三大唐木(熱帯産輸入材)と言われるため、海や船、貿易といった題目の茶会で用いれば良い(以下、季節に結び付かない輸入材は同様とする)。


二十 (紅覆輪千年木枝) 観葉植物のドラセナ・コンシンネの和名が紅覆輪千年木(ベニフクリンセンネンボク)だそうだ。元は鉢植えだったと思われるが、管理物件の敷地に植えられて大きくなっていた。細い繊維質が水分を多量に含んで柔らかかったため、枝を割いて、茶杓の枉げ曲線状に切り出した木材に糸で縛り、乾燥させて形作った。観葉植物は風水に纏わる話が多く、葉が上向きに出ている植物は「陽」の気を、細く尖った葉は鋭い気を発生させると言われている。この観葉植物は、気が停滞しがちな部屋の隅に置くと気の流れを改善し、部屋の中央に置くと部屋中に良い気を行き渡らせたりする効果があるという。ドラセナ・コンシンネを詠んだ句は見当たらない。風水に関する題目の茶会で用いても良いだろう。


二十一 (犬黄楊枝丸形) 街路樹の植え込みに落ちていた枝を持ち帰った。ツゲの名が付くがツゲ科ではなく、モチノキ科に属する。犬黄楊の名称の由来は、犬とは関係なく、他の植物に見た目が似ていても「否(イナ)」という意味で付けられ、イナがイヌに転訛され、漢字では「犬」の字が用いられたという。それは、犬侍や犬死と言われるように「役に立たない」蔑称として犬を用いることに由来する。犬が付く植物をみると、犬山椒は山椒に似ているが果皮は辛味がなく用いられない。犬枇杷は果実が枇杷に似ているが食用にならない。犬樫は樫に似ているが木材として質に劣る。イヌツゲもツゲに似ているが、ツゲは印章や櫛など高級品に用いられるのに対し、イヌツゲは木材として役に立たない。しかし、葉が密に生え、刈り込んでも強いイヌツゲは垣根や街路樹として広く植えられていることから、一概に役立たずとは言えないと思う。イヌツゲを詠んだ句は見当たらず、常緑樹であるため通年用いることが出来る。


二十二 (朴幹丸形) 葉は芳香と殺菌作用があるため寿司や餅を包んだり、落ち葉は熱に強いため味噌を乗せて焼く郷土料理に使われる。木材は堅いため下駄の歯に用いられたり、水に強く刃物が触れても錆びないという性質があることから、昔から刀の鞘には朴だけが使用されたという。朴は花の季語が初夏、実が晩秋(十月初旬から十一月初旬)、落葉が初冬とされている。


二十三 (一位幹丸形) 一位の名の由来は、仁徳天皇天智天皇という説も有り)の命により、飛騨山地に自生していた木材を用いて位が高い神官用の笏(シャク)を作らせ、その木に正一位の官位を授けたという説がある。それに因み、イチイの原生林がある山は「位山(くらいやま)」という地名となっている。現在でも天皇即位に際しては、位山のイチイの笏が献上されている。イチイの花は晩春、実は晩秋の季語とされる。


二十四 (椿枝丸形) 自宅近くで剪定していた枝を貰い受けた。ツバキの語源は諸説あるが、葉が厚いため「厚葉木」、葉が艶やかなため「艶葉木」など、葉の特徴から名付けられているとされる。日本原産で、日本書記にも登場するが、室町時代まではあまり人気がなかった。茶道で椿が多用されるようになったのは、豊臣秀吉が好んで飾ったためとされる。近現代でも愛好され「茶花の女王」の異名を持つ。椿は花弁がまとまって落ちることから打ち首を連想させ、武士は好まなかったという説は幕末の流言であり、江戸時代に忌み花とされた記述は見当たらない。成長が遅いことに加え、日本の大木は殆ど伐採されてしまったので木材は流通していない。ツバキは三春(二、三、四月)の季語とされ、古くから多くの歌に詠まれている。


二十五 (榊枝丸形) 自宅近くで剪定していた枝を貰い受けた。榊という字は日本で作られ、その名の通り神事(玉串や神棚飾り)に用いられる木である。その語源については諸説あり、「神と人間の境界にある木→境の木」、「常に葉が緑で栄える→栄える木」、あるいは神聖な木を意味する「賢木(サカキ)」が転じたなどである。サカキの花は初夏の季語とされる。


二十六 (白樺枝丸形) 茶杓の材を求めて近隣の庭木の枝を貰い受けたり、材木店などで購入したりしていたが、樹種に限りがあったため、変わった材を仕入れようと思い、通信販売で北海道厚岸郡の製材所より寒冷地に育つ数種の木材を送って貰った。白樺は林業界で「高原の白い貴公子」と呼ばれている。春の芽吹き頃、幹に傷を付けると大量の樹液が吹き出す。アイヌ民族は水場のない所で野営する際、白樺の樹液を炊事に用いたという。樹液はキシリトールや化粧水の原料に利用される。シラカバの花の季語は晩春とされる。


二十七 (羽団扇楓枝丸形) 北海道厚岸郡より入手。葉が鳥の羽で作った団扇のようなので、ハウチワカエデの名称が付いた。別名は名月楓。なぜ、名月楓と別名があるのか定かではないが、日本の楓の中では最大級の葉を持ち、見事な紅葉を見せるため、その大きな葉が月光を受け美しく見えるからと推察されている。なお、カエデの語源は、葉が蛙の手(前足)に似ているため蛙手と呼んだことによるという説がある。カエデはモミジと並び秋の紅葉の代名詞と言える。


二十八 (淡竹中節丸形) ハチクの表面は淡い緑色で蝋のような物質で覆われている。繊維が細かいため、茶筅の材料として用いられる。


二十九 (肉桂枝丸形) 自宅近くで剪定していた枝を貰い受けた。黒緑色の枝が特徴。削る度に、ニッキの香りが漂ってきた。香辛料としての肉桂は、セイロンニッケイ、シナニッケイと日本固有のニッキの三種があり、セイロンニッケイはシナモンとも呼ばれる。セイロンニッケイとシナニッケイは幹の樹皮を乾燥させて使うのに対し、日本のニッキは根を用いる。シナモンスティックはセイロンニッケイの樹皮を重ねて丸めて作るため手間が掛かる高級品で、シナニッケイは樹皮が厚いためそのまま丸めて出来ることから、低価格で流通している物はシナニッケイだと言われている。成分的にも違いがあり、シナモンの独特な風味であるオイゲノールという成分は、セイロンニッケイのみに含まれる。また三種とも甘い香りがするが風味は異なり、日本産のニッキには、セイロンニッケイとシナニッケイにはない辛味がある。江戸から大正時代までは、日本産ニッキの栽培が盛んで、生薬として海外へ輸出されていたが、根を掘り起こすため労力を要することから生産量が落ち込み、現在は食品原料として殆ど流通していない。ニッキ飴や八ツ橋などの和菓子には、かつて日本産ニッキが使われていたが、今はシナモンを使用している。肉桂を詠んだ句は見当たらず、特化した季節もない。地方によっては「ニッキ水」という清涼飲料があり、夏を連想するらしい。


三十 (西洋采振木枝其形) 神奈川県茅ケ崎市在住の知人宅で採取。総(ふさ)状に付ける白い花弁が采配に似ていることからサイフリボクという和名が名付けられた。北米の低地、特に海岸線に多く分布し、六月に実がなることからジューンベリーと呼ばれている。季節としては仲夏であろう。


三十一 (淡竹中節剣先形穴開き) 月の大きさは地平近くにある時は大きく、天上にある時は小さく見える。しかし、それは錯覚であり、五円硬貨を持って手を伸ばした時、硬貨の穴とほぼ同じ大きさである。月に因んだ題目で茶会を開くに当たり、櫂先に五円硬貨と同じ直径五ミリメートルの穴を空け、茶杓に月を表現した。穴が空いているため、抹茶がこぼれてしまうのではないかと言われたが、こぼれることはなく使用出来る。


三十二 (蓬枝其形) 神奈川県茅ケ崎市の知人宅で採取。ヨモギは、春に新芽を摘み餅に入れて食用としたり、成長した葉を乾燥させて裏の綿毛を採取した艾(もぐさ)を灸として利用したり、漢方薬にするなど用途が多い。キク科の多年草だが、茎は木質化する。「よ」は「善く」、「も」は「萌え」もしくは「燃え」、「ぎ」は「茎のある立ち草」とする説と、葉が良く繁るので「四方草」という説もある。なお、「蓬」の字が当てられているが「艾」が正しいという説もある。三春の季語とされている。


三十三 (楡枝其形) 神奈川県茅ケ崎市で採取。ニレをインターネットで検索すると、アメリカの劇作家ユージン・オニール作「楡の木陰の欲望」が見つかった。あらすじは、一八五〇年、アメリカ北東部、巨大なニレの木がある家が舞台。七十五歳のキャボットが三十五歳のアビーと結婚する。キャボットの息子エビンとアビーが財産争いをするが、肉体的に惹かれ合うようになる。ニレを詠んだ句の季節は多様で特定されない。春に開花する種はハルニレ、秋に開花する種はアキニレとされ、ニレと言えば日本では一般的にハルニレである。


三十四 (島梣枝丸形) 神奈川県茅ケ崎市の知人宅で採取。シマトネリコの「トネリコ」は、諸説あるが「戸に塗る木」が語源。トネリコの樹皮に付くイボタロウムシの分泌する蝋物質を敷居などの溝に塗って、戸のすべりを良くしたことに由来する。シマトネリコは沖縄などの島に自生するトネリコを指す。シマトネリコを詠んだ句は見当たらず、特化した季節もない。熱帯から亜熱帯の山間部に自生する種だが、近年ではオフィス街や商業施設の植栽として多用され、身近になった。


三十五 (淡竹逆樋枝残し虫喰丸形) 最初に制作した虫喰いの茶杓と同じ竹材で、虫喰いの跡が酷かったが、枝が二本出ている状態が面白かったので、それを生かして削った。銘を付けるなら「相生」だろうか。


三十六 (淡竹中節亀甲形) 櫂先が六角形の亀甲文に見えるように削った。亀甲文は長寿吉兆の縁起が良い文様とされているので、おめでたい茶席で用いれば良いだろう。或いは、六に因み、例えば、六古窯の茶碗を取り揃えて行う茶会等で使用すれば良い。


三十七 (青梻枝其形) 北海道厚岸郡より入手。枝を水に浸けて置くと青い染料が取れることからアオダモの名称が付いたとされる。堅いが粘り強い木質のため、野球のバッドの材としての需要が高い。しかし、材として成長するのに八十年以上を要し、計画的に植林されなかったため、品質の良い材が枯渇する結果となった。別名はコバノトネリコシマトネリコの近傍種であり、近年は庭木としての需要が高まっている。アオダモを詠んだ句は見当たらず、特化した季節もない。花は四、五月に咲き、九、十月に果実となる。ただし、毎年開花する訳ではない。秋には紅葉し、落葉する。


三十八 (猿滑枝其形) 神奈川県茅ケ崎市の知人宅で採取。樹皮がすべすべして、猿が滑ってしまうということからサルスベリと呼ばれるが、実際に猿は滑ることなく登れてしまうという。百日紅(ヒャクジツコウ)という呼び方もあるが、それは梅雨明けから初秋までの長い期間に渡って花を楽しめることによる(実際の花期は二か月程度)。仲夏の季語とされている。


三十九 (金柑枝丸形) 自宅近くで伐採している枝を譲り受けた。金柑は中国長江中流域原産で、黄金色の蜜柑の意味から金柑と呼ばれた。日本へ渡来したのは江戸時代後期、中国浙江省寧波(ニンポウ)の商船が遠州灘沖で遭難し清水港に寄港し、その際に船員が礼として清水の人に砂糖漬けのキンカンの実を贈った。その中に入っていた種を植えたところ木が生えて実がなり、その実からとった種が日本全国へ広まったとされる。キンカンの花は仲夏、キンカン(実)は晩秋の季語である。


四十 (水木枝其形) 北海道厚岸郡より入手。早春に芽吹く時、地中から多量の水分を吸い上げ、枝を切ると水のような樹液が出ることからミズキと名付けられたとされる。渓谷周辺などの水分が豊かな土壌に生育する。花は初夏、実は晩秋の季語とされている。
四十一 (染井吉野枝其形) 染井吉野の街路樹を剪定している現場を通り掛かり貰い受けた枝。染井吉野は江戸時代末期、エドヒガンとオオシマザクラの交配によって作られた園芸品種。染井吉野同士では受粉できないため、明治時代に接木によって全国へ広まったクローンである。ソメイヨシノは桜の代表とも言え、晩春の季語となっている。


四十二 (水楢枝其形) 北海道厚岸郡より入手。木材は高級家具、建築材、洋酒樽などに利用されている。特に北海道産のミズナラが良質で、他のオーク樽と異なる繊細な風味を醸造出来る材として、輸出されると高い評価を受けジャパニーズオークと呼ばれる。どんぐりと呼ばれる水楢の実は晩秋の季語である。


四十三 (榠樝枝其形) 管理物件の庭で採取。カリンは中国東部が原産。収穫したカリンの果実を部屋に置くと部屋中が香りで満たされるため中国では「香木瓜」とも呼ばれる。榠樝(ベイサ)は漢名。和名のカリンは、唐木の花櫚(カリン)に材が似ていることから名付けられたと言う。バラ科カリン属で、東南アジア原産のマメ科の花梨とは異なる。カリンの実は晩秋の季語とされる。


四十四 (銀葉千年木其形) 観葉植物のミリオンバンブーから制作した。幹に竹のような節があるためバンブーと呼ばれているがドラセナ属である。日本では銀葉千年木と呼んでいるが、中国では富貴竹、開運竹とも呼ばれ、風水的に仕事、健康、金銭の運気が上がるとされている。銀葉千年木を詠んだ句は見当たらず、特化した季節もない。常緑樹であるため通年用いることが出来る。


四十五 (唐檜幹葉形) 通称ホワイトウッドと呼ばれる唐檜は2×4材工法に用いられる欧米産マツ科の針葉樹である。新建材として流通しているが、湿度が低くシロアリがいない地域で育った木のため虫害や腐朽菌に対する抵抗力が極端に低く、日本農林規格において耐朽性が非常に低いとされる区分に該当する。高温多湿の日本で建築材には不向きと指摘する専門家もいる。一方、家具や楽器には向いているという意見もある。トウヒを詠んだ句は見当たらず、特化した季節もない。常緑樹のため通年用いることが出来る。


四十六 (若松幹其形) 正月飾りの若松から削り出した。松の内は新年の季語とされ、初釜で用いれば良い。或いは、松明(たいまつ)と言われるように、古くは樹脂の多い松を灯火として用いていたので、灯に因む茶会等で用いることも考えられる。


四十七 (朴枝其形) 管理物件で落ちていた枝を拾い持ち帰った。以前は朴の幹から削ったが、枝から樹皮を生かして削り出した。樹皮は和厚朴という漢方薬に用いられ、胃苓湯、カッコウ正気散、五積散、潤腸湯、半夏厚朴湯、平易散、補気健中湯、麻子仁丸など健胃消化薬、瀉下薬、鎮咳去痰薬など二十五の処方に配合される。健胃、鎮痛、抗菌作用などがある一方、筋弛緩や末梢神経麻痺の成分も含まれていることから多量の服用は好ましくないとされる。また、メラニン色素を抑制する働きがあるという報告により、美肌効果が期待されている。


四十八 (軽銀剣先形) アルミニウムは銀に似ているが軽いため、軽銀と呼ばれる。鉱石のボーキサイトから生産される際、大量の電力を要するため「電気の缶詰」の異名を持つ。電力価格が高い日本では、精錬工場は全て閉鎖され、アルミニウム屑を回収し、再生する方法で賄っている。リサイクルは精錬の三パーセントの電力消費で済むという。また、日本では最もリサイクル率が高い金属で、二〇一九年時点で九七.九パーセントに達しており、リサイクル(再生利用)の王と呼ばれている。アルミニウムを詠んだ句を調べると意外にも多いが、季節は多様で特化しない。アルミニウムは一円硬貨の材として有名であり、硬貨には八枚葉の若木がデザインされている。それは特定のモデル樹種がなく、どの木にも通ずるという考えだと説明されている。


四十九 (有機硝子剣先形) 合成樹脂の中でもアクリル板は透明度と耐衝撃性が高く、耐候性にも優れている。水族館の水槽や航空機の窓、光学レンズなど多用途であり、プラスチック(合成樹脂)の女王と呼ばれている。アクリルを詠んだ句は見当たらず、季節も特化しない。


五十 (高合金特殊鋼匙) 高合金特殊鋼はステンレススチールのことである。市販のステンレスマドラーが茶杓として使えそうなので入手した。七寸弱の丈、匙の形状なので真の茶杓として使えるかと思ったが、真の茶杓象牙製と竹の無節だけなので、これは草に分類される。そのため、七寸弱の丈を六寸に切り詰めた。


五十一 (真竹中節一文字形) 色々な材料で茶杓を削り、百種の茶杓を目標とし、ようやく半数になった。集めた材が尽きたので、新たな樹種を探しつつ、基本に立ち返るため、竹でオーソドックスな茶杓を削ることにした。茶杓の櫂先は、丸形、一文字形、兜巾形、葉形、剣先形などがあると文献に見られるが、実際は殆ど丸形しか見掛けない。そこで、櫂先の形状が異なる数種に取り組むこととし、先ず一文字形を制作した。手間が掛かっていないように見えるが、横一文字の形状から潔い印象を受ける。一文字と言っても櫂先の左右の角は少し丸めている。


五十二 (真竹中節平丸形) 一文字形の櫂先の角に、やや丸みを持たせた形状で、丸形と一文字形のどちらとも言えない櫂先を平丸形と呼ぶ。丸形とされている茶杓の中に、よく見ると平丸形と呼ぶべき品もあるだろう。幅約一センチメートルの狭い世界で表現される些細な違いかも知れないが、ほんの少しの違いで印象が大きく変わるから不思議だ。


五十三 (真竹中節兜巾形) 兜巾形の茶杓も殆ど見掛けないが、茶道裏千家十四代家元淡々斎好みと伝わる。兜巾とは、修験道の山伏が被る布製の頭巾。漆で固められ、一見して布製には見えない。直径八センチメートル程と小さいため、両側に紐が付けられ、被ると言うより頭に乗せて、紐を顎の下で結んで固定する。山中の石や落枝から頭を守り、水汲みにも使う実用性を兼ねていると言う。仏教の基本的な考えのひとつである十二因縁に基づき十二の襞(ひだ)を持ち、上から見ると放射状に十二等分されているように縫い目がある。それを黒く染めて被るのは「十二因縁は無明暗黒の煩悩であるが、悟りに達すれば空(くう)であり、不動明王の頭頂にある蓮華のように清浄である」との意であるという。兜巾形は平丸形の先端を少し尖らせたように見える。


五十四 (真竹中節宝珠形) 宝珠とは、火焔宝珠や如意宝珠のように上部が山なりに突起した珠である。宝珠形と呼ばれる茶杓は、丸形茶杓の露中央が山なりに突起した形状とも見える。或いは兜巾形の角が丸まったような櫂先とも見て取れる。そもそも、宝珠は仏教的な背景を持ち、六世紀に日本へ伝わり仏塔や仏堂の頂上に取り付けられた尊い象徴である。意のままに願いを叶える宝の珠とされ、祈りの対象となる。


五十五 (真竹中節蓮花弁形)蓮の花弁のような形状の櫂先は、宝珠形の先端をやや伸ばしたようにも見て取れる。五十からここまでは、櫂先の微妙な形状の差異により細分化した先人の知性や感性が読み取れるように連作とした。蓮と言えば上野の不忍の池が有名だが、池の中央にある弁天島の石碑には、「不忍池の名は、かつて上野台地と本郷台地の間が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来する」とある。蓮は晩夏の季語とされる。


五十六 (胡麻竹二節丸形) 胡麻竹は、自然に立ち枯れした竹の表面に胡麻粒のような斑紋が現れたもの。春に竹の先端と枝葉を落として、人工的に作ることも出来るため、安定して供給される。花入が多いものの、茶杓に加工されている事例も見受けられる。


五十七 (南洋桐剣先形) 竹と暫く向き合っていたが、竹材の在庫がなくなってきたので、竹以外の材に取り組むこととし、先ず身近にあったファルカタを削ってみた。ファルカタは桐の代用として普及している材。五~七年で伐採出来るほど成長が早く、軽く柔らかで加工性に優れているが、強度、耐久性は低い。早生植林事業として東南アジアなどを中心に日本企業が進出している。ファルカタを詠んだ句は見当たらず、季節は特化しない。


五十八 (硬質ポリ塩化ビニール中節丸形) ポリ塩化ビニールは合成樹脂の一種で、耐水性、耐酸性、耐アルカリ性、耐溶剤性に優れる。難燃性であるが、熱により軟化するため、熱可塑性樹脂に分類される。衣類、建材、家具、梱包資材、文具など多用途であるが、焼却時のダイオキシン発生や環境ホルモン問題への懸念が持たれたこともある。多用途で便利な材料であるが、時代が変われば他の物へ置き換わっていくかも知れない。


五十九 (軽銀枠和紙張り) 夏休み中の子どもたちに茶会を体験して頂く機会があり、その茶会で使うために制作した。しかし、全体の道具組の都合で使わないことになった。金魚すくいは縁日の屋台で定番となっており、子どもたちに親しまれている一種の遊びで、金魚を掬う器具はポイと呼ばれている。近年は枠がプラスチック製になったが、金魚すくいが広まった大正時代には、茶筒に針金を巻いて枠を作り和紙を張っていた。その昔ながらのポイを参考に茶杓を作った。金魚すくいは夏の季語とされる。


六十 (真竹中節鯆形) これまで茶杓を仕上げる際、節を起点に上下の重量均衡が取れていることを完成の条件にした。指先に茶杓を乗せると、弥次郎兵衛のように均衡を保つので、いっそのこと弥次郎兵衛のような茶杓を作ろうと考えた。節の裏を弥次郎兵衛の軸のように残し、その一点で均衡を保つ。安定させるため、切留辺りに重量が必要だったので、魚の尾びれのような形状とし、全体も魚を思わせるような形にした。そのため、魚形と呼ぼうと思ったが、魚類の尾びれは縦型のため、横型の鯆(イルカ)形と呼ぶ。棗に乗せるとゆらゆらしつつも均衡を保つ。海に因んだ題目の茶会等で用いれば良いだろう。


六十一 (雲竜柳枝丸形) 閉店した関内の和食店に長年飾られていた雲竜柳が残されていたので持ち帰った。雲竜柳は中国原産の園芸品種で、幹も枝葉も捩じれる様子を竜が天へ昇る姿に見立てたとされる。中国では寺院に植えられることが多いようであるが、日本では花材に用いられることが殆ど。雲龍と言えば天井画として禅寺の法堂に描かれることが多い。京都妙心寺の法堂には、狩野探幽が八年の歳月を掛けて描き上げたとされる雲龍図がある。直径十二メートルの円相の中心に龍の目が描かれているが、立つ位置や見る角度によって、龍の表情や動きが変化したように見え、通称「八方にらみの龍」と呼ばれている。雲竜柳を詠んだ句は見当たらないが、柳は晩春の季語とされている。


六十二 (真竹中節剣先形に高合金特殊鋼張合) 二〇一七年十月、スマートイルミネーション横浜で開催した船上茶会「水面の灯」にて用いるため予備として制作した。クルーザーの後部デッキ(屋外)で、御園棚による点前を行うため、海風で飛ばされないように、茶杓の追取の裏を薄く削り高合金特殊鋼(ステンレス材)を貼り重量を持たせた。茶杓は飛ばされなかったが、釜に乗せた柄杓は飛ばされた。野点で風が強い際に用いれば良いだろう。


六十三 (黄金檀幹丸形) オウゴンタン(ボコテ)は紫檀、黒檀の類似種でメキシコ原産とされる。しかし、それはステッキ材のシャム柿に紛れてメキシコから日本へ輸出されたことによる誤りであった。産地は南米コロンビア、エクアドルほか、ブラジルの一部である。心材は黄褐色で濃色の縞が出る。黄金檀の由来は、ブラジルの日系移民が日本向け輸出のため受けの良い名を付けたとされる。ボコテを詠んだ句は見当たらず、季節は特化しない。


六十四 (谷地榛の木幹剣先形) 湿原で森林を形成する数少ない木。木炭の材料となる。油分を含むため生木でも良く燃える。小林一茶が「ハンノキの それでも花の つもりかな」と詠んだように、ヤチハンノキの花は地味な色で、垂れ下がった穂のような形状をしている。落葉後の十一月頃に開花するので季語としては初冬だろうか。


六十五 (栓幹剣先形) 別名は針桐(ハリギリ)。製材された物を栓(セン)と呼ぶ。ハリギリの葉は長さ十~三十センチメートルで掌状に分裂しているため、テングウチワと呼ばれることもある。肥えた土地に自生するので、開拓時代はこの木が生えている場所を農地開墾の目印とした。そのため、北海道には大きな栓の木が多く残されている。明治末には下駄材として本州に出荷された。現在でも国内産の栓の九割は北海道産である。ハリギリを詠んだ句は見当たらず、季節も特化しない。花期は晩夏、果期は晩秋、黄褐色に黄葉し、落葉する。


六十六 (真竹中節磁石埋込丸形) 「雨滴」を題目に茶会を開こうとして、山笠のような薄器を作ったが、茶杓が乗らない。弥次郎兵衛の茶杓も使えないので、竹の茶杓と山笠薄器に磁石を仕込み、くっつくようにした。山笠の部分は脱着出来るので、竹の薄器としても使える。


六十七 (真竹中節葉形) 七夕の頃の茶会に用いるため、著名な七夕の歌詞にある笹の葉の形状で茶杓を作ることにした。しかし、笹葉と言えば、象牙の薬匙を模し、笹の葉のようであるが櫂先が丸い茶杓が伝来している。それはそれとして、私なりの笹葉形の茶杓を制作した。櫂先は薄く尖って、自然の笹の葉のようだ。なお、七夕飾りは笹でも竹でも構わないとされている。因みに、笹と竹は異なる樹種で、見分け方は鞘の有無。竹は成長すると鞘が剥がれるが、笹は残っている。また、節から出る枝が二本なのが竹、五本ほど出るのが笹。葉脈が格子状なのが竹、平行の筋状なのが笹である。


六十八 (真竹中節鋤形) 私の住居がある横浜市内に田園は少ないが、JR横浜線中山駅近くには田園風景が残っている。中山駅近くの商店街にあるカフェで茶席を設ける機会があったので、田畑を耕す農工具の鋤形の櫂先形状とした茶杓を制作した。


六十九 (真竹中節櫂形) 何度かクルーザーで茶会を開く機会があり、舟の櫂のような櫂先を作ってみた。鍬形をやや細くしたような形状にも見える。


七十 (紫鉄刀木剣先形) ムラサキタガヤサンは、広く東南アジアに分布するタガヤサンに比べ、タイとミャンマーの一部でしか産出しない希少材。製材すると黄灰色から急速に紫に変色し、経年変化で黒味を帯びる。木質は重硬強靭だが加工し易く、耐久性にも優れる。鉄道のレールに色味が似ていることから、鉄道の高架下に茶席を設えて開く茶会で「鐵の道」と題して使用する予定だったが、高架下管理者の都合で茶会は行われずお蔵入りとなった。


七十一 (真竹中節十文字形) 一文字形の櫂先があるのだから、十文字形の茶杓もあって良いと考え創作した。ところが、竹の繊維の都合、十文字の横棒部分が割れやすく、何度も失敗した。袱紗で清め難いという欠点もある。しかし、十字架のようなのでクリスマスに開く茶会に用いれば良いだろう。


七十二 (真竹中節猪目形) 櫂先の変り茶杓として、猪目形を創作した。現代ではハート型と呼ばれているが、猪目模様は飛鳥・奈良時代に仏教と共に中国より伝来したとされ、宗教的には火除け・魔除け模様とされている。一方、西洋では古代ローマ帝国で既にハートマークが愛情表現として用いられていた。現代日本でも猪目は愛情表現の模様として認識されている。なお、ハート型は心臓を象っているとされている。実際は脳の働きであるが、心と言うと心臓の辺りを想像するのは、緊張すると心拍数が上がることから、心と心臓が結び付いたと考えられる。聖バレンタイン茶会などで使用すれば良いだろう。


七十三 (真竹中節菱形) 異形櫂先として菱形の茶杓を削り出した。剣先形よりやや幅広くかつ鋭角にして、左右に尖った下を内側に少し削り込んだだけで菱形に見える。菱型はダイヤとも呼ばれるので、トランプのハート、ダイヤ、スペード、クローバーの連作を考えたが、スペードとクローバーは櫂先として形が美しくなさそうなので止めた。ダイヤはダイヤモンドの略語なので、宝石や鉱物に関する題目の茶会で使用することが考えられる。或いは、図形の菱形は池沼の浮葉植物ヒシに似ているため名付けられので、ヒシに因んだ季節に用いることも出来る。菱餅は晩春、菱の花は仲夏、菱の実と菱紅葉は晩秋の季語である。


七十四 (南洋桂幹丸形) 南洋桂や南洋檜と呼ばれるアガチスは、桂や檜とは無関係な杉の種。東南アジアからニュージーランド、太平洋諸島に分布。針葉樹であるが年輪は明らかでなく、広葉樹の様に見える。木理は通直で肌目は緻密。耐久性は低いとされる。ニュージーランドに住むマオリ族は、樹高四十五メートル、直径四メートルという大木に成長するアガチスを「森の王」と呼んでいる。アガチスを詠んだ句は見当たらず、季節は特化しない。


七十五 (桐幹丸形) 桐は切っても直ぐ芽を出して成長するため、切る、切りが名の由来という説がある。材としては湿気を通さず、防虫効果があることから、衣類を仕舞う箪笥に用いられることで有名。更に古くなると耐火性が上がることから、金庫に内張りし、引き出しにも用いるという。桐は意匠化された紋章も知名度が高く、五七の桐花紋は日本政府の紋章として、勲章や硬貨、パスポートなどに用いられている。キリの花は初夏、実は初秋の季語とされる。


七十六 (焼桐幹其形) 桐から削った茶杓をバーナーで焼いた。焼桐材というのがあるが、焼くのは経年変色や手垢などによる汚れを防ぐためだと言う。焼いて磨くことで艶が出るため、塗装代わりに家具の表面加工として用いられる。中国の神話では伝説の鳥「鳳凰」は桐にのみ止まるとされ、それが日本へ伝わり神聖な木として受け継がれたという。


七十七 (黄楊枝丸形) 古来、ツゲは印章や将棋の駒など細工物の材に用いられ、特に重用されたのが櫛で、平城京跡などから出土している。関東以西に広く分布し、鹿児島の薩摩地方や伊豆の御蔵島が高級黄楊櫛材の産地となっている。漢字は中国の黄楊に由来し、読みは諸説あるが、葉が次々に密になって出て来ることから「次ぎ」が転訛したとされる。ツゲの花は晩春の季語とされる。


七十八 (杉幹丸形浮造り) 杉の板材加工に浮造り(うづくり)という杢目を浮き立たせ自然美と艶を出す手法がある。カヤの繊維を束ねた浮造り器に蜜蝋などを付け、板目に沿って磨く。柔らかい材には、ヤシ、シュロの繊維を束ねた浮造り器を用いる。この茶杓はその手法で杢目を浮き立たせた。以前作った杉茶杓の添文には「緑の砂漠」という否定的な話を記載したが、杉は温室効果ガスなどを吸収し、大気を浄化する効果が顕著であることが近年明らかにされた。それは製材された杉にも効果があり、二酸化炭素ホルムアルデヒドを吸収するという。杉は日本固有種で縄文時代から利用され、建材や家具、樽、桶、下駄、舟など生活に欠かせない材である。


七十九 (蝦夷松幹丸形) 蝦夷即ち北海道に自生する松と呼ばれるが、マツ属ではなく、トウヒ(唐檜)属である。同種のアカエゾマツに比べ幹が黒いため、クロエゾマツと呼ばれる。大きいもので高さ四十メートル、幹は直径一メートルに達し、葉が円錐状になるため、北海道に自生しないモミノキ代わりにクリスマスツリーとして用いられる。材は粗いが繊維は長く真っ直ぐで、樹脂が少なく加工しやすいため、建材、楽器、家具、マッチ棒、経木、パルプ材など幅広い用途がある。しかし、アカエゾマツに比べると成長が遅く、病害虫に弱いこともあって流通量は減少している。材は檜に似ているため、別名「北洋檜」と呼ばれるが、ヒノキ属ではないこと、蝦夷差別用語とされていることから北洋唐檜と呼ぶべきだろう。エゾマツを詠んだ句を調べると、特定の季節に結び付かない。常緑樹なので、通年用いることが出来る。


八十 (米松幹丸形) アメリカ産のマツと呼ばれているが、マツ属ではなく、トガサワラ(栂椹)属の常緑針葉樹である。蝦夷松との比較から、連作として加えた。木目が美しく加工性、耐久性に優れていること、大径かつ長い材が取れることから住宅建材、特に梁や桁に用いられることが多い。産地は北米の太平洋沿岸で、地元ではオレゴンパインと呼ばれている。オレゴン州は広大な森林があり、米国最大級の林業、製材業がある。米松を詠んだ句は見当たらず、季節は特化しない。常緑樹であり、通年用いることが出来る。


八十一 (柊幹) 知人の棟梁から庭木を切ったからと言って貰い受けた。ヒイラギは棘のある葉が特徴的で、その棘に触るとヒリヒリと痛むという古語「疼(ひいら)ぎ」が名称の由来。材は堅いがしなやかで、衝撃に対して強靭な耐久性があるため、石工が使う大型の玄翁の柄に使用される。特に熟練した石工はヒイラギの幹を多く保有し、自宅の庭にヒイラギを植えている者もいると言う。知人の棟梁は石工ではなく大工であるが、玄翁を使うので先代が植えたのかも知れない。因みに玄翁の由来は、南北朝時代曹洞宗の僧である源翁心昭に由来する。その逸話は、鳥羽上皇が寵愛した伝説の女性・玉藻前の正体が妖狐の化身で、それを見破られて逃げた先の那須で討伐されて石となった。その後、石は毒を発して人々や生き物の命を奪い続けたため「殺生石」と呼ばれたが、源翁心昭(玄翁和尚)によって打ち砕かれた。また、玄翁に纏わる余談として、玄翁の頭部に付いている金属の両面は平らだが、一方はほんの少し凸曲面になっていて、釘を木に打つ際、初めは平らな面で打てば滑らず、最後に打ち込む時は凸曲面を使い、木を傷つけないようになっている。ヒイラギの花は初冬、ヒイラギの枝にイワシを挿す節分行事に因み「柊挿す」は初春の季語となっている。


八十二 (真竹中節丸形 「ゆがみ」写し) 相対性理論は「質量があると時空が歪み、他の物体を引き寄せる」とアインシュタインにより提言された。茶の湯で歪みと言えば、先ず織部を代表とする沓茶碗が思い浮かぶが、利休作と伝わる「ゆがみ」の茶杓も有名である。「ゆがみ」茶杓は東京目白台永青文庫に実物があるので見に行き、写しを制作した。ほんの僅かな歪みだが、確かに歪んでいる。そして、蟻腰になっている。これまで蟻腰であることに重きを置かなかったが、完成した茶杓の節部分を指先に乗せると、まるで吸い付くようだ。直腰の茶杓は均衡を取ることに苦労していたが、蟻腰はそんなことをする必要がない。もっとも、茶杓は弥次郎兵衛ではないので、指先に乗せて均衡を保つような使途はそもそもない。しかし、重量の釣り合いが取れた茶杓は、見た目が美しく、扱い易い気がする。ゆがみは全体的に薄造りだが、薄くて軽いというのも良い茶杓の条件だと思った。ひと掬い一グラムの抹茶の重さを感じられるのが、究極の茶杓だろうか。


八十三 (真竹中節丸形)  前作の「ゆがみ」写しは相対性理論に因んでいることから、対として私なりの歪み茶杓を制作した。


八十四 (真竹中節笹葉写し) ゆがみの写しを制作したことをきっかけに、いくつか写しを作ることにした。先ず、足利義政の作とされ三井家に伝来する茶杓「笹葉」を手掛けることにした。節上が笹の葉のような形をしているが先端は尖っていない。これは芋茶杓と呼ばれる象牙製の薬匙を模したためと言われている。銘は「笹葉」なのだろうが、付けずに無銘とする。


八十五 (真竹茶瓢写し) 笹葉と比較される初期の竹茶杓として「茶瓢」がある。村田珠光作とされ、節付近が括れて上下が膨らんでいる姿から、千宗旦が銘を付け容れ筒を作って墨書したとされる。中節は千利休が広めたとする文献が多いが、それ以前にも竹の節を生かして作られた茶杓の存在を知らしめるものと思われる。これも銘は「茶瓢」であろうが、無銘としておく。


八十六 (真竹中節剣先形) これまで制作した茶杓を見直すと、丸形の次に剣先形の茶杓が多いように思う。その茶杓の材や全体の均衡から剣先形が良いという判断で作ったと思うが、恐らく私好みの形状なのだろう。因みに、剣とは「長い諸刃の手持ちの武器の一種」であり、片側に刃がある刀とは区別される。


八十七 (真竹中節桜花弁形) 日本には四季があり、茶の湯では季節に応じた道具を用いることが多い。春夏秋冬の風物詩に因んだ四種の組茶杓を作るとしたら何だろうと考える。これまで、多様な樹種で茶杓を制作したので、どれかしらが四季の茶杓になるだろう。春と言えば桜だから、染井吉野の幹や枝から削り出した茶杓が使える。夏はサルスベリ、秋はモミジ、冬は若松だろう。しかし、このところ竹の茶杓に専念しているので、櫂先の形状で四季を表現しようと考えた。春は桜の花弁を思わせる櫂先とした。


八十八 (真竹中節雲形) 夏の風物詩として、青空に浮かぶ雲を選んで茶杓の形状に応用した。雲は決まった形状はないが、気象学では十種類に大別される。青空に白くフワッと浮かぶ綿のような雲は積雲と呼ばれる。雲は古くから絵巻物などに描かれており、神仏が雲に乗っていたり、場面転換に用いられたりする。雲は一年中あるので、特定する季語にはならないが、夏の茶席で「行雲流水」の掛物を用いる時などに使用すれば良いだろう。


八十九 (真竹中節銀杏形) 秋と言えば月や紅葉が代表的な風物詩だ。月の茶杓は三十二の淡竹中節剣先形穴開きがある。それを用いれば秋を表す茶杓となるが、茶杓に関する文献を調べると銀杏形の櫂先があったので、秋の茶杓としてここに加えることにした。なお、冬の風物詩と言えば、雪、正月飾りの松が思い浮かぶ。雪の結晶は六角形なので、三十六の亀甲形は冬の茶杓として使えるだろう。或いは、冬の風物詩であるクリスマスに因み七十一の十文字形も用いることが出来るだろう。


九十 (真竹下がり節穴開き一文字形) 枝払いした跡が黒ずんでいた竹から制作した。私にしては珍しく無作為で、枉げて削った結果、こうなったという茶杓である。


九十一 (真竹無節丸形) 百種を目標に多様な茶杓を制作してきたが、最後に基本的な竹の茶杓を収めることにした。先ず、真の茶杓とされる竹の無節に取り組んだ。真の茶杓に銘を付けるかどうか考えてみたが、神仏や貴人への献茶で用いることを思えば、無銘のままが良いと思った。約七寸と他の茶杓より長いので、専用の軽銀筒と仕覆を制作した。


九十二 (真竹一稜留節丸形)、九十三 (真竹二稜留節丸形)、九十四 (真竹元節丸形) 行の茶杓とされる止節の竹茶杓を制作した。止節は切留に竹の節が来るようにした物で、混同されがちであるが、節のどこで切るかにより名称が異なる。竹の節は稜と呼ばれる凸部がふたつあり、稜がひとつで切り留めたのを一稜切留、ふたつが二稜切留、ふたつの稜を下がった所で切り留めたのを元節と呼ぶ。なお、扱いはいずれも同じとされる。


九十五 (真竹上がり節丸形)、九十六 (真竹下がり節丸形) 節の位置により呼び方が変わるので同時にいくつか制作したが、上がり節、下がり節の茶杓の実物を見たことがない。茶杓の定番は中節であるが、中節と言っても中央に節がある訳でなく、節上がやや短い。上がり節の茶杓は、中節より節上が短く、下がり節はその逆である。いずれも草の茶杓とされ、上がり節や下がり節が異なる扱いをされることもない。


九十七 (真竹中節逆樋丸形) 節の有無や位置により違う茶杓を数種制作し、いよいよ大詰めを迎え、樋の取り方の違いによる茶杓も加えることとした。生えている竹の根元の方向が節上になるように樋を取るのが本樋で、逆樋はその逆である。天地が逆なのに本樋、自然使いが逆樋とは違和感があるが、古来そう呼ばれているのだから仕方がない。樋が通った竹は枉げが難しく、この竹は枉げている時に亀裂が生じたので、漆で埋めた。逆樋にするのは即ち枝が生えている節であるため、それを如何に景色とするかは作者の感性による。この竹の枝は太かったので、切り落とした断面は広い。


九十八 (真竹中節本樋丸形) 「ゆがみ」の写しを作る前は、樋が通っていることに重きを置いていなかったが、樋があることで櫂先の形状が立体的になり、茶を掬いやすくなっていることに気付く。名作とされる茶杓は、中節本樋丸形蟻腰が多い。それは茶杓の定型となっているかのように、先人から現代人まで手掛けている。当然ながら、どれも似た形状であるものの、作り手の個性が見所として現れる。この定型の茶杓においては、非凡さを追求するより、平凡だが、いつも、いつまでも使い続けたくなるような品を極めるべきだと思う。


九十九 (淡竹中節本樋下削り)仕事で管理する物件に竹が自生しているが、放置していたら隣地へ越境するほど伸びてしまったため伐採した。切った時は青竹だったが、二か月程すると青色が褪めてきたので油抜きをして枉げた。百種の最後を飾る茶杓は何が良いか?と考える。茶杓象牙の薬匙を起源に多様化した。象牙は乱獲のため国際取引が制限され市場から姿を消した。代替品として他の動物の牙や角などが用いられるので、乱獲の恐れがない鹿の角を象牙の代替品として真の茶杓を作り百番目に据えようと考えた。しかし、象牙ではないので真の茶杓とは言えない。それでも、珍しい材なので草の茶杓として作るか?と考えた。奈良の鹿の角切は人や鹿同士の怪我防止のため江戸時代から続く伝統行事だが、いつ何時、人々の意識が変わって動物愛護の観点から批難される行事になるかも知れない。故に鹿角の茶杓を制作しないことにした。そして、九十九種で止めることにし、この下削りの茶杓を最後に位置付けることにした。百に及ばざるは不足の美であり、未完は可能性に満ちている。
以上

日下 淳一