版画の行方

版画と言えば 複製することが その最たる目的だと考えていた

江戸時代 浮世絵が隆盛を極めたのは
当時のマスメディアとしての役割を担ったためだった

印刷技術の発達 ラジオやテレビ そしてインターネットが普及したこの時代
もはや版画のメディアとしての役目は見当たらない

アート界において 例えば著名な作家の肉筆画が高価である時
複製することにより価格を下げて販売することに貢献するか

浮世絵などの復刻版を制作し 愛好家へ販売するために
その伝統技能が継承されるのだろう

それは それでよい

では 版画という表現技法の特徴を考えてみると
複製を目的に制作される版というものが
その最大の特徴であることは言うまでもない

版は材質によって 木版 銅版 リトグラフ シルクスクリーンに分けられるが
それらは概ね 凸版 凹版 平版 孔版という版の仕組みに大別されるが
いずれも版という 二次的な物体が生成過程の絶対要件である

この二次的な介在物を どのように取り扱うか?が
今後の版画の行方を大きく左右することになるだろう

多くの版画家は自分の版種に拘る傾向がある

それは 版種ごとに難しい専門技法があるため
それを習得するのに時間を要するためかもしれない

そして 刷りに関しても制作者の拘りが見られる

版画がマスメディアの役目を果たしていた頃は
その工程ごとに専門家が役割分担をして技能を磨き
迅速かつ丁寧な仕事を行っていた

刷り師という専門家がいるのも それが故だ
確か 大学の時 版画専攻へ進んだ同級生が
卒業制作の刷りは刷り師に依頼する と言っていた記憶が…



ここで個人的な話をすると
私は大学に入る前 ロバート・ラウシェンバーグの版画に出会い
その作風に惚れ 大学に入ったら3年生の専門課程から
版画を専攻したいと思っていた

しかし 2年生の時に受けた版画の実技演習で
版画への期待を失ってしまったことを思い出す

それは まず大きさの限界であった

印刷機の都合 刷れる大きさに制限があるから
自分の表現にも大きさの制約をもたらすことになる

版とは違うかもしれないが
当時 フロッタージュという擦り出し絵を制作していた私は
石畳の路上に 縦4m横8mもの巨大な紙を置いて
路面を写し取った作品を制作したので
それと比較すると 版画の大きさに不満を感じたのだ

さて 結論は出ないまでも
版画の行方について 私なりの見解を示すならば
伝統技法の伝承は深い意義があるのは言うまでもない

そして一方 新たな版画を目指すのであれは
版種と印刷方法(大きさ)に拘らない斬新な取り組みが必要だろう