伝道標語

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食べ物は私達の命をささえる大切なものです。私達の体は他の多くの命によって支えられているのです。しかし、私達を支えるのはただの食事だけではありません。

お釈迦様は、四つの食べ物があると説いています。



第一に丸めて食べる団食(だんじき)、第二に接触という食べ物触食(そくじき)、第三に意志という食べ物意思食(いしじき)、第四に識という食べ物識食(しきじき)がある。

『相応部経典 2‐1』四食(しじき)の教え



一つ目は 団食(段食)といって、普段私達が口にする食事のことです。食材はそのままでは頂く事は出来ません。段々に食材を切り、あるいは加工して、丸めるようにして、はじめて口に入れ食べる事が出来るのです。

二つ目が触食といって、人と人が触れ合う事も大切な食べ物の様なものである、とお釈迦様は説いているのです。現在の私達はなるべく人と接しない様な生活をしていますが、触れ合いがないと心の栄養が無くなってしまいます。人との触れ合いがあたたかい私達の栄養となるのです。

三つ目が意思食、意思とは意志つまり、自分自身の生活の指針を持つと言う事です。人は何か目標をもって生きています。志をたて、夢をもって生活をしていると人は生き生きとして来ます。大きな目標ではなく、今日はお寺に行ってみよう、といった事でもその日一日が充実してきます。人生において何か目標を持つことは大切な事です、それも食べ物の様に私達には欠かせないものなのです。

四つ目が識食、つまり目で見たり、耳で聴いたり、肌で感じること、全てが食べ物で社会や学校で感じる全ての事、つまり環境も私達の心の栄養であり、大切な食事のようなものである、とお釈迦様は説いているのです。

昨年の東日本大震災では、私が住んでいる茨城県も大きな被害をうけました。ライフラインがストップし、しばらくは困難な状況が続きました。その時、お釈迦様が説かれたこの四つの食べ物の有り難さをしみじみ感じました。ただ単に、食べ物を食べるだけでは人間らしく生きて行けない。お腹がすくと食事の有り難みが身に沁みてわかるように、人と触れ合い、目標を持って生活する事の大切さをあらためて実感したのです。

いま現在も、東日本大震災で被災をされ、困難な状況で生活をしている多くの方々がいます。胸が痛むのと同時に、少しでもこの四つの食べ物に触れて頂きたいと願うのです。生活の全てを失ってしまった方も、多くの人と触れ合い、目標を持って生活していただきたい。その支えに少しでもなれば、と強く願うのです。

私達は無くなってしまってから、その存在の有り難みを感じる事が多々あります。もう戻ってこない大切な存在、人であったり、家であったり、環境であったり・・・。悲しいことですが、それが現実として私達の身に降りかかる、その事に向き合わざるをえない。そんな時にお釈迦様の教えが私達を支えて下さいます。

四つの食べ物の教えには続きがあります。この全ての食べ物に執着をしてはいけない、執着をすることによって苦しみが深くなる・・・と。一見厳しい教えのようですが、無常の世界を生きなければならない私達にとって大切な事であると思うのです。執着をしないと言うことは他の多くのつながりに気付くことでもあります。

諸行は無常である。人でも、家でも、環境でも、常にそのままで存在するものはこの世界にはない。お釈迦様の根本的な教えです。無常であるからこそ多くのつながりを大切にしなければなりません。常では無いこの世界において、お釈迦様の教えは時にやさしく、時に厳しく私達を導いて下さるのです。

平成24年11月 茨城県  高寅寺(こういんじ)住職  北條和之(ほうじょうわし)