總持寺の伝道標語

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お釈迦様から摩訶迦葉尊者へ仏法が伝えられた際のお言葉です。ある日、お釈迦様はたくさんの修行僧の前に無言で一輪の花をつまんで示し、まばたきをされました。修行僧らはその意味するところが解らず沈黙します。その中でただ一人、迦葉尊者だけが真意を悟って微笑みました。それを御覧になったお釈迦様は、「私の悟りの全てを迦葉に授けた」と述べられたのです。

福島県に住む曹洞宗の先輩和尚様から次の話を教えられました。もう少しで二年が経つ、東日本大震災に係わる出来事です。

震災後、福島県の葬儀社さんの組合では、津波に呑み込まれて命を落としたおびただしい数の御遺体を、きれいに処置して棺に納めるというボランティアに取り組んだそうです。それに参加していた葬儀社に勤めてまだ日の浅いお檀家さんの青年が、お寺を訪ねて来て和尚さんにとつとつと語り始めました。

海の水に漬かった御遺体ですので、それはそれは痛々しい状態の場合が多いそうです。青年は逃げ出したくなる気持ちを抑えて、自分自身に「お亡くなりになった人の為に良い事をしているのだ。きっと喜んでくれている」と言い聞かせ、気持ちを奮い立たせて頑張っていました。

そんな中、奇妙な姿勢をした御遺体に出くわします。身体に残っている服の様子から、おそらく女の人であろうという事が想像できました。しかも、若い女性…。その御遺体は、片方の手をがっちり握り締めたまま前に突き出していたそうです。青年は両手の指を組ませ胸の上に置いて安らかな姿にして棺に納めようとしました。傷みが激しいので細心の注意を払って、慎重に丁寧に一本ずつ指を開いてゆきます。一本、二本…。すると、カラカラカラっと、一粒、二粒、何かが握り締めていた掌の中からこぼれ落ちました。「何だろう…」と思って落ちたものを拾い上げると、それは、なんと、小さな子供の指の骨でした。

若い母親だったのでしょう。小さな我が児の手をしっかりと握って、津波から逃れようと二人で必死になって走りました。しかし、津波に呑み込まれ、無残にも命を落としてしまいます。でも、命が尽き果てても、母親は子供の手をけっして離す事はありませんでした。波に揉まれて、子供の亡骸は母親に握られていた手の指から先は壊れて無くなってしまったのです。「…不思議ですね、どうして亡くなった後も、意識の無いはずの死体となった後も、手を握り続ける事が出来たんでしょうか」。

青年はこらえ切れずに大粒の涙を流して和尚さんに話し続けます。「和尚さん、人間って、素晴らしいですね。母親って、すごいですね。僕はこれから、葬祭業に携わる者として一生、生きてゆきます!」。

この母親は、悲しくも最期まで母親らしかったです。我が身を顧ず母親として一生を全うしました。残念ながら大人になる事が出来なかった幼い子供も、母親の限りない愛情の中で息絶えました。

この二つの命、生き様を目の当たりにして、青年はハッと気づいたのです。魂を揺さぶられ、魂に火が灯ったのです。母子と青年の魂がパチンとぶつかって響き合いました。志が立った瞬間です。感じ取る事が出来た青年も素晴らしいと私は思います。青年は亡くなった母と子の心から「生きてゆく心」を伝えられたのです。

「以心伝心」 心を以って心を伝えるという事。お釈迦様は迦葉尊者の境地が御自身とたがわないという事を認められ、それを宣言なさいました。そこにオリジナルとコピーという差は無く、仏様のみ心がそっくりそのまま伝わっているのです。これを繰り返して、お釈迦様のみ教えは脈々と現代へと続いています。

新しい年 平成二十五年を迎えました。仏様のみ心を我が心とするべく、本年も怠らず精進致しましょう。

平成25年1月 (青森県二教区一六八番 善龍寺住職 清野暢邦