1) 新たな試練の始まり

(はじめに)
私が学生時代に絵画教室の助手として勤めた恩師から個展の案内状を頂き そこに
「私も84才になり、初心に帰ろうと思います」と書かれていた

私も初心に立ち戻ってみようと思い 私の原点とも言える藝大時代を思い起こし
以前書いた回想録に加筆修正して書き綴り 自分史「藝大時代」の書庫に収める

全12章 今日から毎日1章ずつ公開する(2009年4月20日

**********************************************



私は難関を突破し 1982年の春から東京藝術大学に通うことになった
入学すると真っ先に油画専攻の主任教授がこう言った

「君たちの中から 1人作家が出ればいい 他の者は その肥やしとなるんだ」

これは現在も新入生への洗礼となっているらしい
狭き門を通った学生たちは この先まだ絞られるのだ

私はその通りだと思った そんなにたくさん芸術家がいる訳がない
受かったからと言って浮かれている場合ではない 肥やしにはなりたくない



1年生最初の課題は石膏デッサンだった
広い石膏室にはニケやガッタメラータなどの巨大な像があり
木炭紙の倍判サイズで午前中3時間で1か月掛けて仕上げる

私は石膏デッサンが嫌いだ
下手だからではない 石膏像を描写することに意味を見出せない

同級生たちは石膏像に向かい 黙々と描き込んでいる
さすがは 石膏デッサンの入試を突破してきた人たちだ
薄暗い石膏室の背景を上手く構成して 倍判の木炭紙をグレーに染め上げていく



私は浪人時代 他の受験生と如何に違いを出すか ということを研究していたので
大学に入ってもそのスタンスは崩したくなかった

私はデッサンをせず 何体かの石膏像の写真を撮り 中央棟地下にある写真室で現像した

そして その写真を切り刻み ずらしてコピーのガラス面に置きボタンを押した
出てきたコピーにインレタで A B C D E と記号を付けた



批評会の日 力作が並んだ

60時間以上かけて仕上げたので 描きこみ過ぎて気持ち悪いのもある

私が提出したものは 他の学生と明らかに違っていた
主任教授はわたしの作品を見て こう言った

「なぜ 英語で符号が付いているのか?」

・・・私は答えられなかった
なんとなくあった方がよいと思って付けただけだ



後日 担当助手に呼び出され 石膏デッザンを提出するよう言われた
私のコピー作品は認められず 倍判木炭紙に描いた石膏デッサンを提出しないと
単位を取得出来ないと言う

私は撮影した石膏像の写真を見ながら 毎晩家でデッサンを描き
1週間程度で仕上げて 担当教官に見せたらこう言われた

「いい素質をもっているじゃないか」