自分史「藝大時代」

12) 大学院

卒業制作の成績は6番だったので 私は自分の希望する大学院の研究室へ入れた 2年生の時 帆布の課題を出した教官 榎倉先生の研究室(2研)だ 2研に入った学生は私を含め4人 そのうち1人はタイからの留学生だった 日本語は殆ど話せなかったが 一躍2研の…

11) 卒業制作

年が明け 大学へ行くと私は担当助手に相談した ギブスを着けていた間 卒業制作が進まず 期日までに間に合いそうにないので留年したいと申し出た 卒業制作の成績で大学院への進学が決まるため 進学を希望する私としては 来年に延ばしたかった すると助手はこ…

10) 大怪我

4年生の秋 大学のアトリエで箱を作っている最中 カッターで手のひらをぱっくり切った 瞬間的に まずい と思った 床に大量の血が流れ 同じアトリエにいた同級生が咄嗟にタオルを渡してくれた 私はそれで手のひらを押さえ 同級生2人に連れられ医務室へ行った…

9) 箱との出会い

自分の仕事 自分の作品が見い出せないまま 時間だけが過ぎていった 版画専攻へ移った同級生は 版画の技法・材料を初歩から学んでいたので楽しそうだった 私も版画専攻へ移ればよかったかな?と思ったが 考えた末 油画専攻に進むことを決めたので もう後戻り…

8) 自由の難しさ

古美術研究旅行から帰ると 決まった場所のアトリエを与えられた 大学で自分の居場所が出来たのだが 代わりに失ったものがあった 1・2年生のときは課題が与えられ それに対して何らかの仕事をすれば済んだが 3年生からは「何をしてもよい」と言われ 私は思…

7) 古美術研究旅行

藝大の古美術研究の滞在施設は奈良地裁の裏 文化会館の隣にあり 東大寺まで散策するのに丁度よい距離だった 2日の自由行動日を除き 2週間のスケジュールはびっしり組まれていて 毎日貸切バスに乗って奈良・京都の寺社仏閣を見て回った 引率の教官は毎年の…

6) 急性アルコール中毒

3年生になった新年度 デザイン科主催の新入生歓迎パーティがあり 中庭に設置された舞台の上で一気飲みが行われていた 大きな盃に日本酒1升が注がれ飲み干すのである 私はパーティ会場へ行く前 油画のアトリエでビール大瓶を10本くらい空けて かなり酔っ…

5) 大胆不敵

2人の担当教官を前にして 私は退学を宣告されるものと覚悟していたから 年配の教官の言葉は意外だった 俺に真面目に絵を描け と言うのか? 絵の才能がある と言うのか? フロッタージュの風景画のように ドアの人物画も良く考えて 例えば 写実的なだまし絵…

4) 巨大なフロッタージュ

問題児のレッテルを貼られた私であるが 故意や悪意はなかった でも同級生たちは私のことを ちょっと変わった奴だと思って距離を置いた 1年生の時 仲良くなった同級生は僅か7人で その他の同級生とは殆ど口をきかなかった 予備校の時もそうだったように 孤…

3) 退学 !?

藝大の実技授業は版画や塑像など多岐に渡って造形の基礎を教えてくれたが 油画専攻であるため やはり油画の課題も出る 静物の課題で 学生がモチーフを組みたて それを30号のキャンバスに描くのがあった 3室のアトリエに分かれ それぞれモチーフになりそう…

2) 古くて新しい技法

担当教官が私の石膏デッザンを褒めてくれた訳ではないが 次の課題から私は独自性を押し出すこともなく 課題に素直に向き合った というより 1・2年生の実技の授業は多岐に渡って美術の技法・材料の基礎を教えてくれたので 興味深く取り組むことが出来た 油…

1) 新たな試練の始まり

(はじめに) 私が学生時代に絵画教室の助手として勤めた恩師から個展の案内状を頂き そこに 「私も84才になり、初心に帰ろうと思います」と書かれていた 私も初心に立ち戻ってみようと思い 私の原点とも言える藝大時代を思い起こし 以前書いた回想録に加…