4) 巨大なフロッタージュ

問題児のレッテルを貼られた私であるが 故意や悪意はなかった
でも同級生たちは私のことを ちょっと変わった奴だと思って距離を置いた

1年生の時 仲良くなった同級生は僅か7人で その他の同級生とは殆ど口をきかなかった
予備校の時もそうだったように 孤高の芸術家気取りだった

私はその後 問題を起こすこともなく 課題に取り組んだ
中でも楽しみにしていたのは版画制作だった

木版 銅版 リトグラフ シルクスクリーンの4版種から2版を選んで体験出来る
私は リトグラフシルクスクリーンを選んだ

大学に入る前から好きだったラウシェンバーグジャスパー・ジョーンズのような版画を
制作してみたいと思った

その2版は写真製版という手法があったので 私は自分で撮影した写真を元に版を起こし
モノプリントと呼ばれる1枚1枚違った刷り方で版画を刷った

版画を体験する前は興味津々だったが いざやってみると自分に向いていないような気がした



さて 私は基本的に他人と同じことをするのが嫌いだし アカデミックな課題に対しては反抗する
既にアイデンティティの探求が始まっていたのかもしれない

問題児のレッテルが剥がれ掛けた頃 私はまた問題を起こしてしまった
人物と風景油画をF30号で各1枚提出しなさい という課題だった

同級生たちは キャンバス・イーゼル・絵の具を抱え 校内や上野公園へ出掛け風景画を描いている
中には写真を撮って来て アトリエで写真を見ながら描いている人もいる

私はロールのクラフト紙を買い 大学のアトリエの壁と同じ寸法の縦4m横9mに貼り合わせ
それを持って横浜の大通り公園へ行き 石畳に広げて朝から晩までひたすらコンテで擦り出した

何本のコンテを使ったか記憶にないが 手がシビレて動かなくなったのだけは覚えている
辺りが暗くなると フロッタージュは地面に同化しているように見え 通行人が紙の上を歩く

「すいませーん そこ 絵の上なんですけど!」と声を掛けても気が付かないで通り過ぎて行く
これなら教授も驚くに違いないと思った



風景画のフロッタージュだけで止めておけば良かったのに
私は調子に乗り 人物画も変わったことをやろうと企て
批評会前日の夕方 アトリエ入口のドアに人体の形を描き 木片などを貼り付けた

当時 日本に紹介され始めたキース・へリングの作風を真似てみたところ
私の石膏デッサンを褒めてくれた若い担当教官が来て にこやかにこう言った

「君は流行に敏感だな」

私はその言葉をプラスに受け止めたが 学生だったからそれで良かっただけで
プロ意識があったなら 他人の画風をただ真似ることなどしなかった筈だ

確かに 著名な画家の弟子たちは 師事する先生の画風を真似るが
優秀な弟子は自分の画風を開拓していくもので 若輩者の私にはそれが分からなかった



翌日 批評会が始まる前に 私はフロッタージュをアトリエの壁一面に設置した
その前方に同級生たちのF30号の風景画と人物画が小さく並ぶ

私の作品は最後に講評することになったが 教官たちも同級生たちも気になっている様子だ
そして私の作品の番になると 前方に置かれた同級生たちの絵が全て動かされた

フロッタージュは絶賛されたが ドアの人物画に対して年配の担当教官は
「アトリエのドアは国の所有物なんですから こんなことをして良いと思っているんですか!
 弁償してもらいますからね!」と怒って出て行ってしまった

「これで退学かなぁ・・・」と私は思った

後味の悪い雰囲気で批評会が終わり 私は1人アトリエに残ってドアの木片を剥がし
担当助手がくれた白いペンキを塗って元通りにした



例によって 課題はF30号の油画だったので 私の提出物は認められず 再提出となった
私は撮影しておいた風景と人物の写真を見て 毎晩家で描き1週間で仕上げて教官へ見せた

すると年配の教官はこう言った「あなたは色んなことをやってるけど やっぱり絵描きなんだよ」



イメージ 1

(この写真はフロッタージュの作品を 大学の中央棟屋上に広げて撮影した記録
 カメラのフレームに収まらなかったので 分割撮影した写真を貼り合わせたもの)