10) 大怪我

4年生の秋 大学のアトリエで箱を作っている最中 カッターで手のひらをぱっくり切った
瞬間的に まずい と思った

床に大量の血が流れ 同じアトリエにいた同級生が咄嗟にタオルを渡してくれた
私はそれで手のひらを押さえ 同級生2人に連れられ医務室へ行った

当時 医務室には名物教授がいた その先生に手を見せると
これはひどい 手術が必要だ」と言って病院へ電話を掛けた
そしてタクシーを呼び「同級生2人も一緒に行ってやれ」と言うので3人でタクシーに乗った



夕方の5時半ころ病院へ着き 診察室へ入ると医者が私の手のひらを診て
「目を閉じて・・・これ分かるかな?」と言ったが 何も感じない

次に医者は「眼を開けて指を動かしてみて」と言ったが 小指と薬指が動かなかった
私は自分の目を疑った

医者は「腱と神経が切れているけど とりあえず傷口を縫合するから」と言って施術し
「今日は時間外で救急扱いだから 来週 外来に来て」と言った

診察室を出ると同級生が心配そうに待っていた
「何か食べて元気出そうよ」と誘われ 病院を出て根津まで歩き うな重を食べた

左手は白い包帯で巻かれ 何をするにも不自由だった 
特に風呂に入る時はビニール袋で左手を覆い 右手だけで洗うのだ
だから 右腕は洗えない



1週間ほどして病院へ行くと専門医が「なんで もっと速く来なかったんだ!」と怒った
「すぐ入院の手続きをして 手術するから!」と言う

小指の感覚もなかったし動かないので どうしようかと思っていた
しかし たかが小指1本のために 入院して手術なんて・・・

でも 大学の医療センターの教授も
「手術が必要だろう その病院の専門医は神経を縫合する技術は日本でトップレベルだから」
と言っていたのを思い出した

専門医は「神経も腱も 速く縫合しないと伸びてくっつかなくなる」と言うので
私は 入院の手続きを取り 後日入院した



8人部屋に入ったが 整形外科の入院患者は 私にとって強烈だった
隣のベッドの患者は 高いところから落ちて腰を痛め 寝たきりだ

向かいの年配者は 肩から支柱が4本立ち 頭部の周囲に鉄の輪がある
そこからボルトが出て 頭蓋骨を四方から締め上げていた
首の骨が悪いらしく 寝るときもその器具を外せない 

そして 部屋の隅にいる若い患者は右脚に骨肉腫が出来て
切断しなければ死ぬらしいが 切らないでいるのだそうだ

毎晩 痛い痛い!と騒いで医者を呼びモルヒネを打ってもらっていた
もし 私がその患者と同じ境遇に直面したら 足を切断出来ただろうか?と考えた

私の怪我なんて大したことはない と思った
感覚がなく動かないけど 指が付いているだけマシだ



そして手術の日が来た 指1本のために全身麻酔
「毛があると細菌が入るので」と看護士が言い 左腕から脇の下の毛まで剃られた

次に浣腸 手術中は脱糞するので腸の中身を全部出しておくのだそうだ

若い女性看護士が「おしりを出してください」と言うので 私は控えめにパンツを下げると
「もう少し下げて~」と言うから 思い切って下げると「そんなに下げなくても結構です」と言われた

手術室へ行く前 下着をすべて脱ぎ手術衣を着た
手のひらだけなのに なぜ全裸にならなければいけないのか疑問だった

ストレッチャーに乗せられ 手術室へ向かう
歩いて行けるのだが 患者が歩いて手術室へ入って行くのでは絵にならないのだろう

手術室へ入る前 かなり痛い注射を背中に打たれた
そして 手術室へ入って手術台に乗せられた

とにかく照明が眩しかった 手術室には医者と看護士と医学生らしき人たちが大勢いた
こんなにたくさんの人に見られるのか と恥ずかしい気持ちになったが
酸素マスクをされ「10数えてください」と言われ いーち にーい・・・7で意識を失った



気がつくと病室のベッドにいて 酸素吸入器を付けられ 右手には点滴が打たれている
左手に痛みはなかったが 手から上腕まで石膏で固められ ひもでベッドの柵に固定されている

トイレへ行きたい と思ったが身動きが取れない
周囲の様子からすると 深夜のようだった

手元にブザーが置かれていたのでボタンを押すと 看護士が来てマスクを外してくれた

「トイレへ行きたいんですけど」と言うと「今は動いちゃだめです」と言う
そして ベッドの下から尿瓶を出して ふとんの中へ入れてくれた

尿瓶にするのは初めてで うまくできなかった
再度 ブザーを押すと看護士が来て「済みましたか?」と聞くので
「ここでは出来ません トイレへ行きたいんです」と頼んだ

看護士は 私の左腕を固定していたひもを外し 腕を三角巾で肩から吊ってくれた
私は起き上がって 点滴の支柱をガラガラ転がしトイレへ行った

手術前に用意した浴衣を着せられていたが パンツを履いていなかった
ベッドに戻ると 看護士がいて 再び酸素吸入器を付けられた



そのまますぐに眠ってしまったが 腰が痛くて目が覚めた
ブザーを押すと看護士が来てくれたので「腰が痛くて仕方がない」と訴えるとさすってくれた

でも痛みは治まらない・・・同じ姿勢で寝たきりだったためだろう

隣の寝たきり患者の苦痛がよく分かった
寡黙な人だったが よく看護士を呼んでいたのは この腰痛のためだと思った

看護士がベッドの角度を少し起こしてくれたら 腰の痛みが和らいだ
自分で体験しないと 他人の痛みは分からないものだ

翌日 主治医が来て 手術の結果と今後のことについて説明があった

「神経と腱を縫合し手術は成功したが 術後2か月はギブスが外れませんから
 それから 小指の爪に穴を開けて 輪ゴムを通して固定しているけど 心配しないで」

と言うので見ると痛々しい小指の姿が・・・手術時の出血がこびり付き自分の手とは思えなかった



この時 大人しくベッドで寝ていれば 禁煙出来たのに
私は三角巾で左腕を吊って 点滴のスタンドを転がして喫煙所へ行った

喫煙所は交流の場で 色々な患者が自分の怪我や病気のことを語り合っている

車椅子に乗った患者が話をしていた「一昨日ここへ運ばれて来たんですが・・・
首都高の上野線をバイクで走ってて車と衝突し 下の一般道へ転落したんですよ」と言う

! 手術前にテレビのニュースで報道されていた事故の被害者だと分かった

車とぶつかって15mも下に落ちても人間は生きていられるのか?
しかも 3日後には車椅子に乗って喫煙所へ来れるなんて・・・

人はいつか必ず死ぬ・・・あっけなく死んでしまう人もいれば
強い運と生命力で生き長らえる人がいることを目の当たりにした



私は3週間で退院したが ギブスを装着したままだったので 不自由な生活が続いた

顔を洗うのも右手だけ 茶碗も持てず 左手を吊って寝る
もちろん制作など出来ないので大学へ行かず 家でテレビばかり観ていた

多分 ストレスで体が弱っていたのだろう ある日 食事中に奥歯の詰め物が取れてしまった
歯科へ行き ギブス姿で診察台に横たわった自分が情けなかった

術後2か月経った年末になり ようやくギブスが外れたと思ったら
「これからリハビリが始まりますよ」と主治医に言われ 小指を鍛える装具を渡された

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(その装置と術後撮った手の写真を絵の具箱に入れ保管している)



外来での診察後 私は入院病棟へ寄り 自分がいた病室へ行くと顔見知りの患者がいた
例の骨肉腫の患者がいないので尋ねると「先週亡くなった」と言う

若いのに かわいそうだが 自分で選んだ道だ