8) 自由の難しさ

古美術研究旅行から帰ると 決まった場所のアトリエを与えられた
大学で自分の居場所が出来たのだが 代わりに失ったものがあった

1・2年生のときは課題が与えられ それに対して何らかの仕事をすれば済んだが
3年生からは「何をしてもよい」と言われ 私は思い悩んでしまった



反抗する対象がなくなったのだ



石膏デッサンをしないで写真とコピーワークを提出したのも
風景と人物画で巨大なフロッタージュを制作し ドアに絵を描いたのも
アカデミックな課題に対する反抗だった

私は 課題慣れした自分を反省し なぜ作品を作るのか? 何のために? と自問した

一般教養は1・2年で殆ど単位を修得したので 1日中アトリエで制作出来る
でも 何をしたら良いのか分からない
アトリエで手を動かしているだけでは 何の答えも出なかった



私は自分の仕事を見つけるため 色々な展覧会へ出かけたり 本を読んだりした 
しかし自分がやりたいことは そう簡単に見つかる筈がない

同級生たちは油絵を描いている でも描いているだけで
何を描いたら良いか 悩んでいたのかもしれない

私はフロッタージュのドローイングを続けるしかなかった
でもそれは 本当にやりたいことではない と分かってやっていた

期末に教授たちがアトリエを回って見に来るまでに
何らかの作品を用意しなければならない



自由というのは 本来 自ら出てくるものである

しかし 私がしてきたことは 対象があって初めて成立するものだった
自由を求めていた筈なのに 自由になると何も出来ない自分になっていた