7) 古美術研究旅行

藝大の古美術研究の滞在施設は奈良地裁の裏 文化会館の隣にあり
東大寺まで散策するのに丁度よい距離だった

2日の自由行動日を除き 2週間のスケジュールはびっしり組まれていて
毎日貸切バスに乗って奈良・京都の寺社仏閣を見て回った

引率の教官は毎年のように来ているらしく 行く先々の住職と顔見知りのようだった

藝大の学生が絵画彫刻として古美術を見学するという目的だから
一般公開されていない襖絵や仏像などを至近距離で観ることが出来た

古美術に関心がなかった私だが 竹の襖絵を見た時は思わず息を飲んだ
どこのお寺だったか思い出せないが 襖絵の前にずっと座っていたいと思った

竹は写実的に描かれ 何本も重なり 奥深い竹林を形成していた
構図は自然であり 描いた絵師は自然観察を極めた人だと感じた



滞在施設には卓球台があったので 距離が縮まった同級生たちと卓球をしたり
毎晩酒盛りをして色々な話で盛り上がった

2日あった最初の自由行動日 引率の教官が「何十年に一度しか見れない仏像が見れる
次の御開帳まで俺は生きていないから ちょっと遠いけど行くが 一緒に行きたい学生は?」

多くの同級生が一緒に行ったが私は行かず 残った人に「ドライブへ行こう」と誘った
「1人3000円ね」と言って7人乗りのレンタカーを借りてきて 7人で生駒山へ行った

もちろん運転手は私である

「古美術研究旅行には車で来てはいけない」というお達しがあったため 止むなく電車で来たが
2年生の終わりに車を買って毎日乗り回していた程 私は自動車狂いだったので
運転したくて我慢が出来なかったのだ

そして私はスピード狂でもあった

それを知らないで乗った6人は 阿鼻叫喚 悶絶絶叫の世界を体験した
特に 生駒スカイラインではタイヤを泣かせてのコーナーリングの連続

後部座席から「くさかぁ やめろー」と叫び声が聞こえたが
「大丈夫だよ 限界の走りじゃないから」と言って 私はアグレッシブな走りを止めなかった

生駒山頂へ着くと年長の同級生が「誰か他に運転出来る奴いないのかよ」と言うと
「あ オレ 出来る」 「じゃあ 運転代われ」ということになった

ところが そいつは運転が下手で 違う恐怖を味わった同級生は「やっぱり 日下が運転しろ」
ということで再び私がハンドルを握った

楽しいドライブだった



次の自由行動日 私は「またドライブへ行こうよー」と6人を誘ったが断られたので
違う同級生を誘ったが 全員に断られてしまった

日下の運転は恐ろしい という情報が伝わっていたのだろう

1人でレンタカーを借りるのは資金不足だったので 私は電車に乗り1人で大阪へ行った
連日 古美術見学で辟易していたので 大阪の現代美術系の画廊巡りをした

しかし 大阪で見た現代美術の作品で記憶に残っている物は皆無だ
新しい物が必ずしも良いとは限らないのである



さて 車の話が出たので大学時代は作品よりも車に夢中になっていたことを ここで白状したいと思う
私はバイトで貯めたお金で 流線型のデザインが格好良い いすゞ117クーペの中古車を買った

隣人が無類の車好きだったので 私の車をチューンアップしてくれた
「使わないパーツがあるからあげるよ」と言って 手始めにセミトラにして
ショックアブソーバーを固いものと交換し ライトもハロゲンにしてくれた

車いじりの醍醐味を知った私は 自分でオイルを交換し コイルやケーブルを替えたり
カーオーディオを取り付け イタリア製の本皮小径ステアリングに変更した

1800ccのシングルキャブだったが180km/h以上も出て 走りは良かったけど
クーラーが効かなかったので 夏は三角窓を開けて走った

私の学生時代は この車と一緒に走ったようなものだった

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