事故が人生を変える

そもそも 私が美術大学を志望したのは 勉強嫌い だったから…

絵を描いたり 物作りは 好きだし得意だった

けど 覚えることが苦手… 歴史の年号には 苦労させられた…1929…


でも がんばって勉強してましたよ これから記述する事故が起こる前は…


それは 高校1年生が終わった春休みの初日

同級生とバイクで箱根へ向かった

7時過ぎに横浜を出て 9時頃に大磯で事故に遭った


信号で止まっていたトラックの脇を通過しようとしたところ

前方から来た右折車にはねられてしまった


一瞬 気を失った けど すぐ意識を取り戻した

でも 体が動かない…


遠くから声が聞こえた

大丈夫かー


目を開くと 人だかりが見えた

気合を入れて起き上がった


今 救急車を呼んだから と声を掛けられた

大丈夫 と言って歩こうとしたら 左足のひざが内側に曲がる

明らかに変だ


救急車に乗って横たわると 痛みが襲ってきた

救急隊員に 病院はまだか と聞く

どこの病院へ向かっているのか わからない


サイレンとともに移動するのは妙な気分だ

救急車は 右へ左へと曲がり しばらくして病院へ着いた


救患扱いらしく 最優先で診察してもらえた

待合室にいる大勢の人たちを横目に診察室に入った


レントゲンを撮って戻ると 左膝内側の靭帯が切れている

手術はしなくて大丈夫だが マジックテープで脱着できるギブスをはめられ

1か月程度 着用するようにと言われた


当時 ヘルメット着用は義務でなかったが

偶然にも事故の前夜 ヘルメットを買った

早速 役に立ったと思った


春休みは台無しになった ずっとベッドの中

新学期がはじまり 松葉杖をついて登校した

不自由だということよりも その姿が恥ずかしかった

人通りの少ない道を選んで歩いた

学校まで 普段の2倍以上の時間がかかった


始業式に出た後 集合写真を撮った

これだけは 何としても出たかったんだ

そのときいない人は後で合成されて右上の○の中に入れられる

それだけは避けたかったんだ


翌日から学校を休んだ

2週間して松葉杖が取れ 登校すると授業についていけなかった

数学 物理 化学 世界史 日本史 地理 古典 現代国語なんてのもあったかな?

追いつくのは無理だと諦めた