「衣」について

「衣」について
1994年/鎌倉画廊/銀座・東京

(個展カタログより)

デーナ・フリース=ハンセン

イメージ 1私がこの若い政治的なアーティストと初めて出会ったのは2年前のことで、彼は地下の小さな「貸し画廊」で東京の土地の値段に関する一見記録風の展示をしていた。彼は都心の地価が特に高い地点数か所から採取した土を約1立方センチメートルずつ小瓶に詰め、ベルベットの宝石箱に入れ、地図と証明書を添付し公示地価から算出した1平方センチメートルの価格で売っていた。それ以前の彼の制作は、アーティストが使う絵の具による汚染やゴルフ場建設ブームがもたらす川魚への影響など環境問題を扱った作品が主だ。それらは科学の研究発表のようでもあり、フルクサス風でもあり、社会運動的な面を持ち、また少しばかり詩のようでもあった。彼の前作は丁寧に作られ、几帳面に記録されたいた。それらの魅力やウィット、誠実さは、単に社会の現状を羅列しただけの退屈な作品に陥るのを回避していた。

日下は1994年2月、スパイラル/ワコールアートセンターで開催された「人間の条件」展に、日本社会独特の衣食住に対する考えをテーマにした3部作を出展した。それからわずか3か月後、彼は鎌倉画廊から個展の依頼を受け、「衣」をさらに追求した新作を展開した。彼は作品のテーマを「衣」に絞り込み、この画廊特有の空間をうまく利用して、そのテーマを発展させていた。

「『衣』について」の前作はスパイラル・ホールの楽屋を使った展示だった。彼は色やスタイルを組み替えて作った9着の衣服を出展し、日本人の制服に対する固定概念を混乱させた。例えば、ビジネススーツには囚人服に用いられた横縞模様が入っていたり、ウエイトレスの制服は金ラメで覆われていたり、また戦闘服はよく紛争の原因となるナショナリズムの象徴である日の丸を暗示する赤い水玉模様で飾られていた。

イメージ 2鎌倉画廊の個展でこのアーティストは、最新のファッションと社会階級の違いによる様々な普段着とオールマイティなビジネススーツとの交差を探求している。作品展示は、この画廊のミニマルで石を基調とし通りに面した1階にあるという空間を見事に生かしている。もし美術界が崩壊したとしても、この画廊は容易にブティックへの転用が可能であることを思わせる。壁には高度に記号化された布地によって作られたスーツ―――単独のものと男性/女性を表す一対が掛けられている。それらは花柄や緑の迷彩模様、そして子供向けのキャラクターとされる「ハローキティ」をプリントしたキルティングだ。また、囚人服風の白黒スーツの一方はインタラクティブ・ビデオ・インスタレーションに組み込まれ、もう一着は画廊に勤務する女性が着用している。一対の男性/女性を表すスーツはそれぞれ同じ布地で作られているが、一着のみ展示されている花柄のスーツは両方の性を暗示しているかのようだ。ビジネススーツというものは日本のサラリーマンやOLの無個性化を引き起こしている。彼はこの制服の表面を他の社会的機能や階級を示す模様にすり替えることによって、社会に順応し無個性化していく慣習を冷笑し、職業的な階級意識が存在することに異議を唱えている。さらに彼がこれらの過激なビジネススーツをおしゃれなブティックのような画廊に持ち込み販売するという行為は、アートの分野における美学の動向や美術品の商業的価値に対しても言及しているようだ(作品の値段は衣料品ではなく、美術品としての価格を基準にしている)。

イメージ 3作品の重要な構成要素となっているのは2つのビデオ作品で、これは彼にとって初めての表現手法である。ひとつは床に直接置かれた一対のモニタで、そこには作品を身につけたアーティスト自身が映し出されている。撮影された場所の選択には作品との関連性が見られる。子供に人気があるハローキティのスーツを着ている時は児童公園で、花柄のスーツではバラ園に溶け込み、迷彩模様のスーツを着用した時は都市の廃虚に紛れ込んでいる。このファッション的なビデオ手法の引用は、アーティスト達が自らの作品をもっと売れるようにするための方法を提案しているとも考えられる。もうひとつは画廊の一角に設置された特殊な試着室にある。ブルース・ナウマン風のビデオ・インスタレーションで、廊下のように細長い部屋の突き当たりには檻が設けられ、その中には男性用のストライプ・スーツが上品に展示され、さらにスーツの上部にはビデオカメラ、床にモニタが置かれている。試着室の内部は全てストライプ・スーツと同様の縞模様が施され、中に入った人はこの模様に取り囲まれた自分の姿をモニタから見ることになる。それは、まるでこの服を着ているかのようであり、また白黒の帯の錯覚に陥ったかのようでもある。

社会的な課題とコンセプチュアル・アートの表現手段を融合させること、日下の巧妙で多義的な作品は目と知性に様々なレベルで働きかける。私たちはこの思慮深いアーティストの今後の活動に期待している。

デーナ・フリース=ハンセン
現在、アメリカ・オースチン市在住。オースチン美術館の館長。国際的な美術評論家としても活躍している。1985~91年、ボストンのMITリスト・ビジュアル・アート・センターでキュレーターを務めた後、ナンジョウ・アンド・アソシエイツのキュレーターとして、5年間日本に在住。


(裏話)
今は鎌倉山へ移転してしまったが 鎌倉画廊は元々銀座7丁目にあって 毎日多くの人々が訪れていた
私は 学生時代に この画廊でピエロ・マンゾーニの箱の作品に出会い 大きな衝撃を受け それ以降は箱の作品ばかりを制作することになった

銀座にある一流の画廊のひとつなので敷居が高かったが 私は「人間の条件」展への出展が決まった時 ダメモトで資料を持って画廊へ売り込みに行った
資料を見せると「面白そうね」と言って 早速個展を開いてくれることになった(すごい画廊だなーと改めて思った)

この個展で 私はビデオ・インスタレーションに初めて取り組み スーツも初めて自分で仕立てたが ひどい仕上がりだったと思う
「人間の条件」展で「衣」作品を見たというアパレルデザイナーが この個展へ訪れてくれて その人と一緒に「衣」作品の共同作業を始めることになった