「国家なき大使館 プロパガンダ」展

「国家なき大使館 プロパガンダ」展
1995年/銀座九美洞ギャラリー/銀座・東京


イメージ 1「人間の条件」展と鎌倉画廊での個展で 私は多くの美術関係者に出会った
そのうちの一人 スペイン系アメリカ人のS・デュランというアーティストと意気投合し 一緒に活動しようということになった

デュラン氏は「国家なき大使館」という建築図面・模型的な作品を展開していたが 私とのコラボレーションによりパフォーマンスという表現に移行した

一方 私はアパレルデザイナーたちと共同作業を始めており 裁縫のプロの腕前を借りて作品を制作できる体勢を得たため 国家なき大使館プロジェクト用の衣装を制作することにした

それは大使の正装(タキシード)をブルージーンズの生地で作り ストーンウォッシュでボロボロに仕上げたものである

「国家なき大使館」のプロジェクトは この後 実際の大使館でパフォーマンスを開催することになり 
大使役がこの衣装を着用したほか 四季の学生服などアイディーブティックが制作した衣装10着以上が舞台衣装として用いられた





(裏話)
「国家なき大使館」の一連の制作発表は 私の略歴から抹消していた
それは私自身の活動ではなく デュラン氏のコンセプトに協力した形だったことに加え プロジェクトの進行中 些細なことでデュラン氏と私の仲が険悪になったためだ
大使館でのパフォーマンス終了後は一度も会っておらず その後すぐ彼は渡米したと人伝に聞いた
 
しかし 私の「衣」作品を語る上でこの衣装(台北市立美術館所蔵)は 重要な作品のひとつであり またデュラン氏とのコラボレーションがあったからこそアイディーブティックというユニットが生まれたこともあって この個展を略歴に加えることとした

「国家なき大使館」は その名称自体がひとつの作品であると思える
私は 日下淳一として発表していたが アパレルデザイナーたちとの共同作業で出来上がった作品を発表する際 ユニット名を名乗るべきだと思っていた
その名は「国家なき大使館」のように名称自体がコンセプトを明快に表わすものにしたかった

私は考えた末 アイデンティティを売る(服飾)店という意味で「アイディーブティック」をユニット名とし 2004年までその名を名乗った

私が「衣」作品を制作する動機は アイデンティティの探求である これは今でも変わらぬ私の普遍的なテーマだ
服を着替えることにより 人間は変わることが出来る
つまり 服装には性別 階級 身分 職業 民族などの社会的属性の形式(社会通念)があるからこそ それを逸脱する試みもまた成立するのである