「アートは楽しい9-手のわざ・時のわざ」展

「アートは楽しい9-手のわざ・時のわざ」展
1998年/ハラミュージアムアーク/渋川・群馬

(同展覧会カタログより)

坪内 雅美 原美術館研究員

イメージ 1「文章を書くたびにね、僕はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」村上春樹はデビュー作の中で「鼠」に、主人公に向かってこう言わせた(注1)。
 新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなど様々なメディアが毎日私たちにたくさんの情報をもたらしてくれる。ただ、それらの情報は私たちが生活している社会やその中でおきている出来事を知らせてはくれても、リアリティまでは感じさせてくれない。それは、これらの情報を得るときに実体験が伴わないからであろうか。
 そんな中で、思わずハッと思う作品に出会うことがある。そうした作品は、コツコツと手作業で作り上げられた作品であったり、時間をかけて作り上げられた作品であったりする。
 本展では、そうした作品の中から工芸の手法や根気のいる手作業を積み重ねる「手のわざ」や、人の手を離れ、天気の移り変わりや時間の流れを取り入れる「時のわざ」といった見せ方で作品のコンセプトを巧みに形にし、私たちに伝えようとしている7組の作家を取り上げる。

イメージ 2まず、「手のわざ」による作品は、洗練された外見の裏に地道な手作業を隠しており、物作りへのこだわりをみせている。また、職人が器や生活道具などの実用的なものを作るのに似て、日常生活でよく目にするものを取り入れている。このような作品からは、作家がまずは自分の周りを観察することから出発し、一つ一つプロセスを積み重ねて、より普遍的なものにたどりつこうとしている姿がうかがえる。私たちは、リアリティのある手作業と馴染み深いモチーフを通して、身近なところに鑑賞の糸口があることに気づかされる。
 そのような「手のわざ」を駆使して作品を作り出しているグループ、アイディーブティックは、わざと思いもよらない色や柄の布でビジネススーツなどの服を作り、それらの服の一般的なイメージを浮かび上がらせる。継続的に着用することによって、人格にまで影響を及ぼしかねない服の力を明らかにするとともに、ファッションや環境などの外からの要因によって変化してしまう人間のアイデンティティを追及している。(中略)

イメージ 3かつて美術といえば、それは主に絵画や彫刻などを指していた。しかし、今世紀初頭にマルセル デュシャンが「自転車の車輪」や男性用トイレを用いた「泉」を発表し、「レディ・メイド」という概念を打ち出して以来、美術は、まず作品制作のコンセプトが重視されるようになった。同時に、あらゆる表現が美術になり得るという状況が生まれ、表現手段は写真やメディアアートインスタレーションといったように多様化していった。
 コンセプトがあまりに重視され表現手段も多様になった結果、一見しただけでは鑑賞の糸口をつかむことが困難で言葉による説明が必要な作品も見受けられるようになってきている。また一般にコンセプトを重視すると表現が単調になりがちである。そうした中にあって、今回出品している作家7人は、いずれも工芸や自然といった私たちに親しみやすくそれでいて規格化できないわざを採用することによって、こうした現代美術の抱えるとっつきにくさや単調さといった困難を乗り超えつつあるように思われる。このような作品のあり方は、コンセプトがますます重視されるようになっていく中で、現代美術が私たちの感覚から身近なものであり続けるための一つの方向を示しているのではないだろうか。

(注1)村上春樹風の歌を聴け」、P115、講談社文庫、1982(86)年


(作家コメント)
「アートは楽しい9」の関連イベントとして 参加型ファッションショー「アイディーブティックコレクション」がハラミュージアムアークのステージで開催された
鑑賞者が作品を身に着け舞台に立つことで 観ることから体験することへ 作品成立に参加すること等を趣旨とし開催された(企画・運営:ハラミュージアムアーク・原美術館
約20名の出演者は公募により集まった方々で そのほとんどはファッションショーの舞台経験がなかったものの ファッションモデルである原館長の娘さんの指導を受けながら 出演者それぞれが思い思いのウォーキングで舞台を飾った
ナレーションは研究員の坪内氏が行い 原館長も展示作品の「ペンキがはねたスーツ」を着て参加して頂いた

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