境界をめぐって「身体と外界」展

境界をめぐって「身体と外界」展
1999年/TEPCO銀座館プラスマイナスギャラリー/銀座・東京

南條 史生(展覧会によせて)

イメージ 1日本では古来から「衣食住」という。それが人間の「生」の基本だという考え方だ。しかし明確にこれらの主題をテーマにした美術作品は世界を見渡しても多くない。中でも衣服を考察の対象とし続けているアーティストは、たぶんアイディーブティックだけだろう。

アイディーブティックは衣服を表現の媒体と見立てる。たとえば見慣れた衣服の上に、本来のそれとは違った色・柄を載せる。するとその衣服が本来持っていた文化的・社会的コンテクストが撹乱され、変容し、別な意味を帯びる。それはアイデンティティーの問題と深く結びついている。

アイデンティティーとは、差異であり、レッテルであり、記号である。

いいかえると、たとえば、背広はビジネスマンを意味しているし、打ち掛けはは結婚式を、裃は侍の正装を意味している。しかしその形状の上に、本来の色・柄とは全く違ったデザインを載せれば、その服は意味を脱構築され、見る者はその解釈を再創造しなければならなくなるのだ。

イメージ 2それはマルセル・デュシャンが便器を横にして、「泉」と命名したのと似ている。「泉」は観客が既存の物体の造形的意味の再構築に関わるという考え方の発端になった。

アイディーブティックは、世界の著明なアーティストの作品を衣服の上に載せる試みで、美術そのものを脱構築している。たとえば、ジャクソン・ポロック、ヤニス・クネリス、イヴ・クライン、宮島達男などの作品が衣服のデザインに引用されている。衣服は、表面に絵を載せれば、キャンバスの役割を負ったことになる。

アイディーブティックは、さらに衣服の形態を変え、着物のような洋服を作る。モーニングのような着物を作るという手法も用いている。

服飾と美術の狭間でアイディーブティックは美術の意味も問い直しているといえるだろう。常に新しいことは、異なったジャンルの境界線上で起こるのである。