「なにわアイデンティティ」展

「なにわアイデンティティ」展
2001年/CAS/大阪市・大阪

(同展覧会パンフレットより)

伊藤 伸之[刃物屋のいとう]

無個性化…という耳障りのよい言葉が頻繁に使われ、個人や地域のアイデンティティについての議論が賑やかになってきているが、そんなアイデンティティというものをモチーフにした作品を作り続けてきたアイディーブティック。

彼らは当初、囚人服を思わせる縞模様の生地で仕立てたスーツでサラリーマンの宮使いのイメージを想起させたり、フェイクファーの詰襟の学生服、花柄のセーラー服、タオル地のスーツ等それぞれの服が本来持つイメージと布地の模様や素材が持つイメージを掛け合わせることで服に現れる人々のアイデンティティを浮き彫りにする作品を発表してきた。

言い換えれば、見せかけで人を判断してしまったり、仕事や立場に応じて服装がほぼ決まっていたり、気分や自分の理想とするイメージに合わせて服を決めたり、逆にスーツや制服などを着ることで気持ちが仕事や学校等のモードに切り替わったり…というかたちで私が普段から何気なく感じている服装の持つアイデンティティを微妙にずらすことで、見る側がその職業の人たちに普段感じているイメージをえぐり出したり、全く違う視点を提供してくれる。

そんなアイディーブティックが今回の「なにわアイデンティティ」の様に地域のアイデンティティに目覚めたのは一昨年1年間フランスに滞在したことが大きいのだろう。

帰国後の初個展となった昨年冬の鎌倉画廊での個展では紅白のストライプがフランスでは日本における黒黄色のストライプと同じ意味を持ち危険さを表すのに対し、日本ではおめでたいことを表すという日仏でほぼ正反対の意味を持つことに着目し、デンジャラス/ハピネスというスーツとすることで地域による違いを浮かびあがらせ、そこに地域のアイデンティティ性を込めている。それがローカル・アイデンティティをモチーフにした作品の始まりである。そうした延長線上にある今回の作品は関東地方で生まれ育ち、関西での発表はほぼ初めてというアイディーブティックの=よそ者からみた”コテコテのなにわ”のイメージを表したもの。だからいかにもコテコテの大阪らしく!?…「くいだおれ」「タイガース」「お笑い」{大阪弁」がモチーフになった服が並ぶ。

イメージ 1京の着倒れと並び称される大阪の食い倒れをド派手に象徴する大阪道頓堀の野外看板。そんな中でも「かに道楽」の動くカニとともに大阪の顔となっている「くいだおれ太郎(人形)」の紅白のストライプとブルーのキッチュな姿は、それ自体がよそ者から見たいかにもコテコテの大阪…。それとそくりに作られた「くいだおれスーツ」を見ればくいだおれ人形をすぐに思い出し、道頓堀の野外看板や、東京とは異なる派手な色彩のファッションを着こなす大阪の人々の服装を思い出したり、私達よそ者には大阪らしさを感じずにはいられない。

また、黄色と黒の縞模様が鮮やかに映える「タイガースーツ」は、一見トラロープや工事現場の囲いを思わせる黄色と黒の縞模様が表す危険なイメージと、題名になっているタイガー=タイガースのイメージがダブり、優勝に歓喜して道頓堀川カーネルサンダース(人形)を投げ込んでしまう様なタイガースファンの危険なくらい熱狂的なイメージを思い起こさせる。一方で逆に派手な色を上手く着こなす大阪の粋な男のイメージを思い起こさせたり、シンプルな中にも大阪の様々なイメージが思い浮かぶ。

イメージ 2そして、「ええやん/あかん」等の大阪弁が表裏に対(の意)となってプリントされた5枚のTシャツがクルクル回る作品を見ていると、どこへ行ってもいつまでも地元言葉に染まることなく大阪弁をしゃべり続ける大阪人を思い出したり、「ほんま/うそや」等の大阪弁の持つ面白げな感じを楽しんだり…と大阪弁に代表される大阪人のイメージを思い起こさせられる一方で、大阪の人たちからは「大阪ではこんな言葉使わへん」等という反応が出るのを楽しんだり…

イメージ 3そして漫才に代表される「お笑い」をモチーフに、東京ぼん太から着想した”大阪ぼん子”という架空の漫才師を想定し、そのアイデンティティを表すものとして作られた唐草模様の「大阪ぼん子スーツ」。どこか田舎臭さを感じさせるそのスーツに女性漫才師のけったいな服装を思い起こし、田舎から出てきて大阪弁で漫談する漫才師を彷彿させられ、大阪人といってもよその出身者の方が多いという大都市における地域のアイデンティティとは何かを考えずにはいられない。やはり、人のアイデンティティはその生まれ育った地域によって影響され、いかにも大阪人らしくなったり、東京っぽくなったりするのみならず、あとからその町に住むことでその町のアイデンティティに影響されたり…とその地域のアイデンティティとしばしば重なり合うもの。

さて、作者自身と同じく大阪人ではない私自身から見た今回の「なにわアイデンティティ」各作品の印象はこんな感じだが、果たして大阪で普段生活している人々から見るとどう感じるのだろう?やはり「こんなんちゃうやん!」って思うのだろうか?それとも「結構笑えるやん」と思われるのか?それとも…





(裏話)
当時のCASは展覧会ごとにキュレーターを立てて そのキュレーターに作家選定を任せていた
当時 伊藤氏は美術愛好家であったが 日本で開催されている展覧会の半分以上を観て回っているのではないかという程の人物で 私を選んで頂いたことは誇りに思っている
しかし この展覧会はボランティアであり費用は一切出なかったので 制作費はもちろんのこと旅費・滞在費を自費負担で行った
それを了承して大阪へ行ったのに 大阪で伊藤氏と夜酒を飲んでいる時 伊藤氏は自らを一端のキュレーターのように言い出したので 私は思わず言ってしまった

キュレーターというものは お金を集める能力がないといけない

伊藤氏は黙ってしまった そして その後はキュレーターのようなことはせず 美術愛好家として作品を観て回っていたようだが いつの間にか美術界から姿を消した

そして 当時CASは 展覧会会期中に作家を呼んでレクチャーを開催していた
私は会期半ばに再び大阪を訪れたが そのレクチャーには大勢の地元民が申し込んでいたのである
しかも 私の作品に反感を持つ人ばかりだったようだ
私が知らぬ間に「なにわアイデンティティ」のスレッドが出来て 私の作品について批判的な議論が進められていた
よそ者に分かるか! なにわは違う! というご意見が基底にあった そして こんなに皆で議論しているのに当の本人は来ないんか! という投稿もあったが 知らぬ間に議論しているのでは 行きようがない
レクチャーで私は アイデンティティについて語った・・・ 性 身体 親と親族 生まれ育った地域 国 時代・・・ こうした条件が複雑に絡み合い 個人のアイデンティティを形成していく・・・ 大阪は 外部から見て独特の文化があり そうしたイメージは大阪の人たち個人個人のアイデンティティとは違うかもしれない・・ しかし それらは歴然として存在するもので それを作品化して突き付けた格好になった・・・
皆 黙ってじっと私の話に耳を傾けてくれた 理解してもらおうという気は さらさらなかった レクチャーの後 批判的な意見や質問攻めになることを覚悟していたが そんな意見などは出なかった
最後に 皆で服を試着してみよう と言い 参加者数名に着てもらったら
何や 着ると意外に普通や という感想で和気藹々の幕となった