(考察)色即是空 空即是色
色即是空 空即是色
これは般若心経の有名な一節で、意味は(故事ことわざ辞典より)
この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空であるということ。また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿であるということ。
そう言われてみても、何となく分かるようで分からない。この語を理解するためには般若心経全体から考えなければいけないと思いました。
般若心経とは、そもそも呪文を唱えて苦しみから解放されようとするものです。まず冒頭で「観音菩薩が深遠なる『智慧の波羅蜜』を行じていた時、五蘊(ごおん)は空であると見抜いて全ての苦悩から解放された」とあります。
五蘊とは命あるものの構成要素で、色・受・想・行・識だとし、それらは空であると言っています。色は全ての物質、人間ならば身体です。受・想・行・識は心の作用のことです(後述)。
空とは様々な要素が仮に組み合わさって出来たものであって実体がない…仮に現れた幻のようなものです。
つまり、「身体は仮に現れた幻のようなものであって実体はない。実体なきものが組み合わされて仮に身体を形成する」と解釈されます。
そして、受・想・行・識もまた同様であると言っています。受とは物事を見たりして外界からの刺激を受ける心の作用。想とは見たものについて何事かをイメージする心の作用。行とはイメージしたものについて何らかの意志判断を下す心の作用。識とは刺激とイメージと意志判断を総合して状況判断を下す心の作用。これらも実体はなく仮に現れた幻のようなものだと言っています。
そして以下のように般若心経は続きます。
すべての現象は空を特徴とするものであるから、生じることもなく滅することもない。汚れることもなく汚れがなくなることもない。増えることもなく減ることもない。
ゆえに空においては、色は無く、受・想・行・識も無い。眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、色・声・香・味・触・法も無い。
眼で見た世界も無く、意識で想われた世界も無い。無明も無く、無明の滅尽も無い。「老いと死」も無く「老いと死」の滅尽も無い。
「これが苦しみである」という真理も無い。「これが苦しみの集起である」という真理も無い。「これが苦しみの滅である」という真理も無い。「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理も無い。知ることも無く得ることも無い。もともと得られるべきものは何も無いからである。
菩薩たちは「智慧の波羅蜜」に依拠しているがゆえに心にこだわりが無い。こだわりが無いゆえに恐れも無く、転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。三世の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに完全なる悟りを得るのだ。
"ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー"(往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸に正しく往ける者よ 菩提よ ささげ物を受け取り給え)
〔ここに智慧の心髄をおわる〕